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蕉 門

立花北枝
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『北枝發句集』 (北海編)

 小松の研屋小路(現在の小松市大川町)で生まれる。後、金沢に移る。通称は研屋源四郎。刀研ぎ商。蕉門十哲のひとり。

北枝者加州金澤之人也。業磨業。見蕉翁風雅。北方之逸士也。

『風俗文選』 (許六編)

北枝 翠臺、加州金澤之人也、新町源四郎、磨工(トギシ)ヲ業トス。畫、牧童ガ弟也。酒肆如柳ト軒ヲナラブ。平生旦夕行通ヒテ酒呑、餘リニ酒呑、加賀ノ町家木綿ノレン一軒モナシ、莚ノレンノ地ナレバ其費ヲハブキ、女子婦人酒ヲ与事ヲ禁ジ、北枝來リテモ酒ヲ与ヘズ。北枝下女に向テ云、此家ニぬか味噌やある、我に与へよと云、下女曰、ぬかみそなしと云、なくば一盃飲べしと云り、家内おかしさにいふばかりなく、如柳モ感じて酒ヲ澤山夫より北枝に振舞しと也。火災池魚の變アリ、皆人知處也、略。二度めの火災に、氣性はいかんといはれて、もろともに硯も筆もすみとなる烟の中に一句いかん 牧童 もろともに硯も筆も炭となり其言の葉をかくものもなし 北枝 と答たり。さい槌の祝儀にならす水鶏哉  鶯も笠きてあがれ小屋の中  梅が香や先一番に燒見舞 牧童 發句ひらいにありく 髭白きからふ人得たり梅の花 塚ハ卯辰連舎寺中立、北枝塚ト稱ス。

『蕉門諸生全伝』 (遠藤曰人稿)

 元禄元年(1688年)12月6日、小杉一笑没。北枝は追悼の句を詠んでいる。

佛にもなられう秋の庵すき


 元禄2年(1689年)7月、芭蕉が『奥の細道』の旅で金沢にやって来た時に入門。

 7月25日、小松 山王宮 神主藤村伊豆守章重(俳号)鼓蟾(こせん)の館に1泊し、山王句会。

しほらしき名や小松吹萩すゝき
   はせを

露をみしりてかけ移す月
   皷蟾

踊の音淋しき秋の数ならん
   北枝

よしのあミ戸を問ぬゆふくれ
   斧卜


本折日吉神社


26日、歓水亭で句会。

   廿六日同歓水亭会 雨中也。

ぬれて行や人もおかしき雨の萩
   翁

心せよ下駄のひゞきも萩露
   ソラ

かまきりや引きこぼしたる萩露
   北枝


小松の梯川に 北枝の句碑 がある。


かまきりや引きこぼしたる萩の露

 27日、再び 多太神社 に詣で、それぞれ句を奉納した。

多太神社


多田の神社 にまうでゝ、木曾義仲の願書、並に實盛がよろひかぶとを拝す。

   三句

あなむざん甲の下のきりぎりす
   芭蕉

幾秋か甲にきへぬ鬢の霜
   曽良

くさずりのうら珍しや秋の風
   北枝


小松を出発して山中温泉に向う。

元禄二の秋、翁をおくりて山中温泉に遊ぶ 三両吟

馬かりて燕追行わかれかな
   北枝

 花野みだるゝ山の曲(まがり)
   曽良

月よしと相撲に袴踏ぬぎて
   翁

 鞘ばしりしをやがてとめけり
   北枝


山中温泉の句碑


子を抱いて湯の月のぞく猿かな

 8月5日、芭蕉は山中温泉で曽良と別れ、北枝と 那谷寺 に赴き、再び小松へ。曽良は 全昌寺 へ。

一 五日 朝曇。昼時分、翁・北枝、那谷へ趣。明日、於小松、生駒万子為出会也。従順シテ帰テ、艮(即)刻、立。大正侍ニ趣。全昌寺へ申刻着、宿。夜中、雨降ル。

『曽良随行日記』

那谷寺


 8月11日、芭蕉は北枝と共に 天龍寺 を旅立ち、町はずれの茶屋で北枝と別れた。

天龍寺の芭蕉塚


丸岡天竜寺の長老、古き因あれば尋ぬ。又、金沢の北枝といふもの、かりそめに見送りて此処までしたひ来る。所々の風景過さず思ひつヾけて、折節あはれなる作意など聞ゆ。今既別に望みて、

物書て扇引さく余波哉

『奥の細道』

北枝は芭蕉に蓑を贈っている。

   贈簔

しら露もまだあらみのゝ行衛哉


元禄3年(1690年)3月、金沢大火災。

元禄三のとしの大火に庭の櫻も埃りになりたるを

焼けにけりされ共花はちりすまし
   北枝


元禄3年(1690年)4月24日、芭蕉の北枝宛書簡がある。

池魚の災承、我も 甲斐の山ざと にひきうつり、さまざま苦労いたし候へば、御難義(儀)の程察申。されども、「やけにけり」の御秀作、かヽるときに望(臨)、大丈夫感心、去来・丈草も御作驚申斗に御座候。

元禄4年(1691年)4月、 『卯辰集』 (北枝編)刊。

北枝は山中温泉に入湯して 桃妖 を訪れている。

   秋の旅

   山中入湯のころ、やとのあるし桃
   妖子に乞て、翁の菊はたおらしの
   形見を拜す

なつかしや菊はたおらし湯の匂ひ
 北枝


翁の菊はたおらしの形見」は 「温泉頌」 のことであろう。

 元禄7年(1694年)11月3日、芭蕉の亡くなったことを知る。

   翁の事、霜月三日の暮がたにうち
   きゝて

きゝ忌にこもる霜夜の恨みかな


 元禄8年(1695年)1月23日、芭蕉の百か日。

   ことし乙亥のむ月加賀の金沢に旅寝す。たま
   たま蕉翁の百ケ日に逢侍れば、 句空 ・北枝 が
   (ともがら)をまねき、終にこの日の作善(さぜん)
   をおこす。

   即 興

問残す歎のかずや梅のはな
   北枝

 春も氷にしづみつくいけ
   浪化


 元禄9年(1696年)、十丈は北枝を訪ねる。 『射水川』

 元禄9年(1696年)10月12日、芭蕉の三回忌に北枝は 義仲寺 を訪れている。

   無名庵にて当座

流れたる雲や時雨るゝ長良山


 元禄10年(1697年)、 『喪の名残』 (北枝編)。自序。秋の坊跋。

 元禄14年(1701年)7月12日、『射水川』(十丈編)自序。北枝跋。

 元禄16年(1703年)秋、岩田涼菟は山中温泉に遊ぶ。北枝は 汐越の松 に案内する。

   一とせ汐越の松見んとて浦つたひせられしを
   其時のあないせし北枝今も又我をともなひて
   共に昔をしたひ侍
  凉兎
浪聞て爰そ身にしむ松の風

 澄きる月に笠の俤
   里楊

露霜にまんまと我もつれ立て
   北枝


 元禄16年(1703年)10月9日、浪化は33歳で没。

風渡る枯木もかなし泣たより


享保3年(1718年)5月12日、没。

天保3年(1832年)、 『北枝發句集』 (北海編)。 梅室 素芯序。

金沢の 小坂神社 にある「芭蕉翁巡錫地」の碑に北枝の句が刻まれている。



此の山の神にしあれは鹿に花

北枝の句

薪にやからん鳴ぬ卯花夜も明は


秋風に羽織はまくれ小脇指

   翁に越路の簔を送りて

白露も未あら簔の行衛かな


夕風の何吹上ておほろ月


菊の香になくや山家の古上戸


   越中高岡十丈亭にて

椿迄ちるにとなみの山の雪


   山中温泉の上 薬師寺 に詣て

うすぎりや白鷺眠る湯のながれ

つぼふかき盃とらんもゝの花

   睦月十二月、翁忌日に

大空も形見と見えず梅の花


つほふかき盃とらむ桃の花


鶯のまたれて鳴や日一日


横雲のちきれてとふや今朝の秋


ほとゝきす庭をあかれは縁はしら


鵜飼火に燃てはたらく白髪かな


鶯のまたれて啼や日一日


紅葉葉をちらしかけてや殘る菊


いさよひも過て障や虫の聲


胡鬼の實の吸物椀にすはりけり


時雨ねはまた松風のたゝおかす


紅粉つけた人は大氣や白牡丹


囀りに手をはなれたる枕かな


行船や苫洩月に袖の紋


五月雨の雲に針さす所なし


藪陰を尻つよに出る螢かな


来る秋は風はかりでもなかりけり


夕風に何吹あけて朧月


竈馬や顔へ飛つくふくろ棚


しくれねは又松風のたゝをかす


   大乗寺詣途中

翁にそ蚊やつり草をならひける


牧童は北枝の兄。通稱研屋彦三郎。帶藤軒。

牧童の句

あハれみる野田ハ卒塔婆のむら尾花


はる立やさすが聞よき海の音


椽に置手燭にさはる落葉かな


たかの羽のあふらひきける寒さ哉


山がらのつい来て帰る木の芽哉


水まさも花にうきたつ尾上哉


月影や九つ過の人とをり


橋板のかれ野に立やうき柱

宵の口鳴てくもるや水札水鶏(はんくいな)

献立にたらぬものあり春の雨


すいと行水際凉し飛ほたる


笹垣やまめな日用かむめの花


あれか鳴ともおもはれぬひはり哉


待霄を先賞せはや年の程


ほんほんと荷をか(ママ)つをとや五月雨


行鴈の松よりつゞく尾上哉


うくひすに扇つかひや小式臺


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