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岩田涼莵

『山中集』(涼莵編)


 元禄16年(1703年)秋、岩田凉菟 は門下の 中川乙由 を伴い、 山中温泉 に遊ぶ。金沢から福井、敦賀より彦根に入り、関ヶ原、大垣を経て名古屋に転じて伊勢に帰庵した。

元禄17年(1704年)、刊。 支考 序。

   温泉 言葉書あり略之

山中や菊は手折ラし湯の匂ひ
   芭蕉

秋の哀入かはる湯や世の氣色
    曾良

   白湯を藥師如來と拜しほとりを十二神と觀念すへしと
   傳記に見えたり

合掌て湯に入痩や秋の風
   凉菟

仙人に成か湯入の髭の露
    乙由

胡鬼の實にいさ月見せう山住ひ
    桃妖

   此山中の胡鬼の實は初春の遊ひものに似かよひて
   胡鬼の子のそれにはあらて羽子のこの
   こよひの月のそらにすめすめ
   との 御製は有かたきためしそかし又數寄ことする
   人はそれかれと調して茶菓子ともなせりかたかた姿
   の面白キを見おりて

胡鬼の實の吸物椀にすはりけり
    北枝

   八景の内 竈馬(コウロギ)の橋 は巖石にかゝりてみなき
   る水のかしこにくたけ爰に泡まく黄石公か沓も流れつ
   へし

こうろきの夢に渡ルや橋の霜
   凉菟

   おなし流 黒谷の橋

秋寒し岩の上から橋はしら
   仝

   千疋橋

声かれて猿の齒白し峯の月
    其角

落栗や子を守ル猿の夢の内
   自笑



   那谷の觀音は湯本より三里はかり
   の道也桃妖の主おくり來て名殘を
   したふ

   石山の石より白し秋の霜
 翁

   此句も此處にての事なるへし

見上たり撫たり岩に蔦かつら
   凉菟

   手取川

しの水の心や手取河
   凉菟

   加 陽

明日放す魚に酒酌ム月見哉
   万子

待霄を先賞せはや年の程
   牧童

名月や酒ほしかほに椽の雨
   秋之坊

   三五夜の月むなしく雨と過て吟膓を
   いたましむる事おほかり

いさよひも過て隙也むしの声
    北枝

   金澤に侍りて能登の國見に行とて人々に留別

茸狩といふて出はや旅姿
    支考

    安宅の浦 にて

案山子にはよも目は懸し關の前
   凉菟

    實盛の笹原 は砂濱にして池といふへくもあらす

本文の草も錦もなかりけり
    乙由

浪白し洗ひて見れは芋かしら
   凉菟

   一とせ 汐越の松 見んとて浦つたひせられしを其時の
   あないせし北枝今も又我をともなひて共に昔をした
   ひ侍
  凉兎
浪聞て爰そ身にしむ松の風

 澄きる月に笠の俤
   里楊

露霜にまんまと我もつれ立て
   北枝

   鹿嶋まうてして舟に棹さし風吟する三人
  北枝
乳を出して船漕く海士や芦の花

 嶋のくるりの岩に鶺鴒
   凉菟

月見から何れもすくに居つゝけて
   里楊

   福 居

菊の香や老の出入の殿作リ
   韋吹

   凉菟餞別又の事をおもひて

きくの宿梅咲比や百廿日
   元春

   足羽川八幡宮

弓取り額烏帽子や稻すゝめ
   凉菟

    玉江ノ橋

芋の葉の玉江と聞ヶははしの露
   仝

    淺生津

あさむつの橋に揃ふや小鷹狩
   凉菟

    敦 賀

初鴈や海に出向ふ金ヶ崎
   仝

   妹 川
   姉 川

朝霧の伊吹や富士の妹川
   仝

姉川の洗濯寒し秋の風
   仝

   彦 根

力相撲瘤の出ル時まけにけり
    許六

   多賀大明神

   此御神は神代のむかし伊勢の國より八府越を越まし
   まして、此所に御鎮座有けるとかや。其山の紅葉を
   見やりて

神風もあの山越や初紅葉
   凉菟

    柏原  出水亭にて

あそこへは交リ爰へは渡り鳥
   仝

    寢物かたり

兩の手に美濃と近江や鳴子引
   凉菟

   關ケ原

百疋の馬に模様や花すゝき
   仝

   名 月

最一荒壁からも漏れ不破の月
    木因

化されて來たか今宵の月見塚
   凉菟

    朝長の塚 はあをはかの宿より拾八丁山のあなた
   に有凉菟をともなひてまうて侍
   赤坂
哀しれ鎧通しの花の露
   木巴

朝顔の拳こぶしにしほみけり
   凉菟

   十五條六條と在所の名に聞て

御所柿の美濃にも四條五條哉
   凉菟

   撰集の沙汰有てしはらく 白櫻下 に足をとゝめ侍るに
   名古屋の人々に招れてほし崎呼つきの濱一見して
   鳴海 知足亭 に遊ふ

火燵から友よひつきの濱近し
   凉菟

    笠 寺

麥蒔の日は笠寺に靜也
   仝

   名古屋留別

樂書は禁制旅の我紙子
    團友

   元禄十七甲申年春

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