〜芭蕉堂〜
小松
から山中温泉へ。
山中温泉は大聖寺川の渓谷沿いにある。
元禄2年(1689年)8月1日(陽暦9月14日)、芭蕉は黒谷橋に行く。
黒谷橋の欄干
此の川のくろ谷橋ハ絶景の地や行脚のたのしみ奚にあり
句空
も黒谷橋を訪れている。
此の川のくろ谷橋は絶景の地也、はせを翁の平岩に座して手を打たゝき、行脚のたのしみこゝにありと一ふしうたはれしと自笑がかたりけるに、なつかしさもせちにおぼへて、
今の手は何にこたえむほとゝぎす 句空
黒谷橋から白鷺大橋を望む
明治42年(1909年)9月25日、河東碧梧桐は黒谷橋、道明淵、蟋蟀橋等を見ている。
九月二十五日。時々雨。
一雫の生家大島屋の乞いによって、別荘汪洋館に移った。
午後早苗同人の案内で、黒谷橋、道明淵、蟋蟀橋等を見た。蟋蟀橋畔の増喜楼に陣して、秋をしぐるる雨景を賞しながら最早間もない紅葉の紅いを頭に描いた。
芭蕉堂があった。
芭蕉堂
(奥の細道)の旅の疲れをとった芭蕉は、この地を散策し
この川の黒谷橋は絶景の地なり
行脚の楽しみここにあり
と絶賛しました。
明治43年(1910年)、芭蕉をしたう全国の俳人たちによって芭蕉堂が建てられ、芭蕉像が安置されました。
芭蕉像
桃妖の句碑があった。
紙鳶(たこ)きれて白根ヶ嶽を行方かな
桃妖は
泉屋
の当主久米之介の俳号。
『卯辰集』
に「山中少年桃葉」として収録されている。
昭和40年(1965年)、
山口誓子
は黒谷橋で桃妖の句碑を見ている。
私はそれから崖の上に戻り、町の中を通り抜け、黒谷川の下流に架っている黒谷橋に来た。渡ると、直ぐ右手に低く芭蕉堂がある。
芭蕉はこの黒谷橋にも来た。
芭蕉堂のほとりに桃妖の句碑がある。桃妖は泉屋久米之助である。
紙鳶きれて白根が嶽を行方かな
「白根が嶽」は白山である。「奥の細道」にも小松から山中温泉へ向う条(くだり)に「白根が嶽」のことを記している。
黒谷橋を見上げる。
鶴仙渓遊歩道
を歩く。
私の旅日記
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