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蕉 門

鶴屋句空

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句空 加賀金城卯辰山住、柳陰軒ト云。

『蕉門諸生全伝』 (遠藤曰人稿)

京都の知恩院で仏門に入り、句空坊または句空法師といった。

十とせあまりのむかし、知恩教寺にてかしらおろし侍りて

 何に染む若葉の比の太布衣


卯辰山 に柳陰軒を結び、隠棲。

   卯辰山金剛密寺は瑜伽最上乘の靈
   場にして、乙劔大明神垂迹の地也。
   本地は不動明王なりとかや。此院
   の北の山陰に大きなる藤あり。そ
   の陰をたのみてすみ侍しころ花の
   さかりに

藤咲ていほりのやうになかりけり
 句空


金沢の宝泉寺に 柳陰軒址 がある。

句空法し、卯辰山の藤ある松陰にかりなる草をむすびはじめられける、その夜まかりて

つよかれとつくらぬ花のいほりかな
    北枝


 元禄元年(1688年)12月6日、小杉一笑没。句空は追悼の句を詠んでいる。

盆なりとむしりける哉塚の草


 元禄2年(1689年)7月、芭蕉が『奥の細道』の旅で金沢を訪れた折に入門。芭蕉は柳陰軒に一泊したと伝えられているそうだ。

金沢市の 宝泉寺 に芭蕉の句碑がある。


柳陰軒址

ちる柳あるじも我も鐘を聞く

 元禄3年(1690年)3月、金沢の大火災で柳陰軒も焼失する。

   卯辰山の庵も庚午の火にもとの野
   らとなりて思はすの里すまゐを

伊勢海老の陰にかゞまることし哉

『柞原集』

 元禄4年(1691年)秋、句空は 義仲寺 の「無名庵」に芭蕉を訪ね、兼行法師の庵の絵に賛を得た。

   庵に掛けんとて、句空が書かせけ
   る兼好の絵に

秋の色糠味噌壷もなかりけり

『柞原集』

 元禄5年(1692年)1月16日、芭蕉は句空に「 うらやましうき世の北の山桜 」の句を贈る。

うらやましうき世の北の山桜
   翁

 雪消えしまふ細ね大根
   句空


元禄5年(1692年)、『北の山』刊。

元禄5年(1692年)8月、 『柞原集』

句空は山中温泉の くろ谷橋 を訪れている。

   此川の黒谷橋は絶景の地也。は
   せを翁の平岩に座して手をうちた
   ゝき、行脚のたのしみ爰にありと
   一ふしうたはれしもと、自笑かか
   たりけるになつかしさもせちに覺
   へて、

今の手は何にこたえむほとゝぎす
 句空


黒谷橋の欄干


此の川のくろ谷橋ハ絶景の地や行脚のたのしみ奚にあり

元禄7年(1694年)、句空は 浪化 を訪れたようだ。

   句空法師が山寺に来りけるをとゞめて

豆腐こそなのらね山は時鳥
   浪化

   かへし

ほとゝぎす山には鬼もなかりけり
   句空


元禄13年(1700年)、 俳諧草庵集』 編。

元禄14年(1701年)、支考は句空を訪ねている。

   句空 草庵

いさ一夜水鶏と我と松の声


元禄16年(1703年)10月9日、浪化は33歳で没。

雄神川涙そ落て行木の葉


正徳2年(1712年)1月25日、没。

句空の句

むめが香や分入里は牛の角


山吹や箔椀あらふさとの川


懐にいるゝ人なきほたる哉


山水やまだ初秋の香需散


    幻住菴の記 に越の高すなこをふみ
   てとあるをおもひて

濱千鳥なくや翁のあしのあと
菊の葉や紅葉しかゝる神無月


納豆やら隣にたゝく霜夜かな


有たけの機をのばさばや山桜

菜の花に咲かわ(は)りけり金鳳花


鶯や鳴わたれとも檜木かさ


から笠をさしてはたしや春の雨


ほとゝきす二聲きりて二番草

   三州にて

冬の日や矢矧堤のつくつくし


竹の子や道筋とへは垣のほか


   神法樂

梅か香や袖かひてミる神子の舞


三日月の光りや浮きてもゝの花


梅か香や分入里は牛の角


塵浜にたらぬ日もなし浦ちどり


むめか香や分入里ハ牛の角


虫どもの哀を尽す夜半哉


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