このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
芭蕉の句
あつみ山や吹浦かけて夕すゞみ
出典は『奥の細道』。
羽黒を立て、鶴が岡の城下、長山氏重行と云物のふの家にむかへられて、誹諧一巻有。左吉も共に送りぬ。川舟に乗て酒田の湊に下る。淵庵不玉と云医師の許を宿とす。
あつみ山や吹浦かけて夕すゞみ
暑き日を海にいれたり最上川
元禄2年(1689年)6月13日、酒田に到着して
伊東不玉
亭に2泊する。
出羽酒田の湊、伊東不玉亭にて
あつみ山や吹浦かけて夕すゞみ
ばせを
海松
(みる)
かる礒に畳む帆莚
不玉
『雪満呂気』
『奥の細道』では鶴岡から川舟で酒田に下った時の句としてあるが、実際は
象潟
から酒田に戻り、6月19日(陽歴8月4日)不玉と共に小舟で納涼した時の句である。
○十九日 快晴。三吟始。明廿日、寺嶋彦助江戸へ被
レ
趣ニ因テ状認。翁より杉風、又鳴海寂照・越人へ被
レ
遣。予、杉風・深川長政へ遣ス。
○廿日 快晴。三吟。
○廿一日 快晴。夕方曇。夜ニ入、村雨シテ止。三吟終。
『曽良随行日記』』
「あつみ山や吹浦かけて夕涼み」の句は恐らく酒田の海岸最上川の河口に近い納涼に出ての句であろう。南に頂の尖ったあつみ山が海に迫っておる、吹浦までは砂浜つづきで、大師岬とかいうのが、手を延べておる。何等の巧みを弄せぬ景色そのままの直写である。あつみは今温海と書き、吹浦はふくうらと読む。
『三千里』
『継尾集』
に「
江上之晩望
」と前書きがある。
『泊船集』
には「
洲庵不玉亭
」と前書きがある。
伊東不玉は酒田の医師伊東玄順。不玉は俳号。
『
俳諧
一葉集』
には「
袖の浦の眺望
」と前書きがある。
「袖の浦」は最上川河口左岸(酒田市宮野浦近辺)で、歌枕。
君恋ふる涙のかかる袖の浦はいはほなりとも朽ちぞしぬべき
『拾遺和歌集』(よみ人知らず)
宝暦2年(1752年)、和知風光は袖の浦で句を詠んでいる。
袖の浦
振向けは秋風からし袖の浦
『宗祇戻』
「袖の浦」は最上川河口左岸(酒田市宮野浦近辺)で、歌枕。
君恋ふる涙のかかる袖の浦はいはほなりとも朽ちぞしぬべき
『拾遺和歌集』(よみ人知らず)
山形県天童市の
「天童タワー」
、山形市の
山形蔵王PA
、遊佐町の
国道345号
酒田市の
日和山公園
、鶴岡市の
立岩海底温泉
に句碑がある。
遊佐町の句碑
日和山公園の句碑
立岩海底温泉の句碑
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