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私の旅日記
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2005年
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芭蕉遺跡 温海
〜日本海〜
立岩海底温泉に芭蕉の句碑があると聞いて、立ち寄ることにした。
温海温泉
から県道44号余目温海線で国道7号に向かう。
国道7号を行くと、立岩が見える。
立岩
立岩海底温泉の隣に芭蕉の句碑があった。
芭蕉の句碑
あつみ山や吹浦かけて夕涼み
芭蕉の句碑に日光黄菅が影を落とす。
芭蕉遺跡 温海
芭蕉と曽良が酒田から大山を経て海岸の景勝地を見ながら温海に着いたのは、元禄2年旧暦6月26日未刻で
鈴木惣左衛門宅
に旅装をといた。その家は旧国道筋で、鈴木美津子宅の祖先に当る。
首標の詠句は、同19日(陽歴8月4日)酒田の
不玉
と共に小舟で納涼のときの立句である。翠峰温海岳から吹浦かけての景趣と涼風に感動した雄大な句である。なお芭蕉は翌朝馬で越後路に出発し、曽良は湯温海を見て後を追った。
羽黒を立て、鶴が岡の城下、長山氏重行と云物のふの家にむかへられて、誹諧一巻有。左吉も共に送りぬ。川舟に乗て酒田の湊に下る。淵庵不玉と云医師の許を宿とす。
あつみ山や吹浦かけて夕すゞみ
暑き日を海にいれたり最上川
『奥の細道』では鶴岡から川舟で酒田に下った時の句としてあるが、実際は象潟から酒田に戻ってからの句である。
立岩海底温泉から見る日本海
元文4年(1739年)4月1日、建部凉袋は上京の途中で吹浦に出る。
卯月朔日
夜半過る頃より空かはりて、風たかく雨もおやみなきに、けさは花も残りなく打散りて、俄かに卯月のけしきなるも、雪は鳥海のみねにぞ見る。吹浦に出る。
吹浦もうれし温海に更衣
かく申はべれどいと寒かりし。
「温海山は此わたりなるか」と問へば、「まだ道は十里ばかりも隔りぬ」と云。
実
(げに)
翁の「吹浦かけて」のことば、爰に到て地理を得たり。さらば我句は十里行て句ならん。
『笈の若葉』
延享4年(1747年)、横田柳几は陸奥を行脚し、吹浦を訪れている。
是より象潟は寸眸の間に見渡さるれは心も飛島の名にうかれて十余里の浜つたひしまつ吹浦の納涼を試んと海畔に彳みて
吹浦にのこる暑もなかり鳧
柳几
『二笈集』
宝暦2年(1752年)、和知風光は『宗祇戻』の旅で鶴岡から温海に向かった。
あつみの温泉に行迄
湯あつみの伯母もそろそろ散るすゝき
椎茸や取落されてあつみ山
『宗祇戻』
月山八合目
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