このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
昔の温泉
温海温泉「たちばなや」
浄土平
から磐梯吾妻スカイラインを下り、福島ICから東北自動車道に入る。村田JCで山形自動車道に入り、鶴岡ICから国道7号へ。
日本海に沿って国道7号(おばこおけさライン)を行き、県道44号余目温海線に入ると、温海川沿いに温海温泉がある。
今日は温海温泉
「たちばなや」
(HP)に泊まる。
大浴場
温海温泉では昭和26年の火災の後、源泉を整理統合して集中管理しているそうだ。湧出量は毎分1,300リットル。
「たちばなや」には毎分234リットルの源泉が供給されているという。それなら掛け流しでもいいと思うのだが。
泉質はナトリウム・カルシウム−塩化物・硫酸塩温泉(旧泉質名は含石膏−食塩泉)。泉温は63.5℃。pH7.3。
露天風呂
虻がいて、襲ってくる。
お風呂では無防備だ。何ヶ所も刺されてしまった。
明治40年(1907年)10月31日、河東碧梧桐は温海温泉に泊まった。
暮坪の立岩というのを名残に少し山に入ってこの温泉につく。あつみ山の屏風に似た高いのが、夕クン
(※「日」+「黒」)
の今消えようとする微光に満山の紅葉をほのめかしておる。
『三千里』
大正3年(1914年)6月7日、東洋大学の創設者井上円了は温海温泉を訪れている。
昭和10年(1935年)6月30日、
与謝野晶子
は温海温泉を訪れた。
温海温泉「萬国屋」
「萬国屋」の前に、
与謝野晶子の歌碑
がある。
さみだれの出羽の谷間の朝市に傘して売るはおほむね女
「あつみ温泉朝市」は300年程の歴史ある朝市で、能登輪島の朝市、飛騨高山の朝市と並ぶ日本三大朝市の1つとも称されているそうだ。
昭和15年(1940年)10月18日、斎藤茂吉は温海温泉を訪れている。
温海
夜をこめて朝市たてば男女
(をとこをみな)
ひとごゑぞする湯の里ここは
朝々に立つ市ありて紫ににほへる木通
(あけび)
の實さへつらなむ
『のぼり路』
芭蕉遺跡 温海
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