このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
街 道
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中山道
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塩名田宿
上信越自動車道佐久ICで国道141号に入る。
「浅間中学西」を右折して県道44号下仁田浅科線を行く。
県道44号下仁田浅科線から旧中山道に入る。
塩名田
(しおなだ)
交差点に中山道塩名田
(しおなだ)
宿の標識がある。
木曾街道六拾九次 塩名田(歌川広重画)
塩名田宿は日本橋から
中山道
23番目の宿で、千曲川川越しの宿として栄えたそうだ。
塩名田宿本陣・問屋跡
寛政5年(1793年)、
田上菊舎
は諏訪から和田を越えて、長久保に止宿、翌日は塩名田に泊まる。
すはを立、和田越へて、四つ時より終日大雨、長つぼといふ所に止宿、翌日上田にゆくべきを、橋落ちて塩なだといふ所に宿。
『美濃・信濃行』
千曲川
長野新幹線の向こうに浅間山が見える。
享和2年(1802年)4月3日、太田南畝は千曲川を渡り、塩名田宿へ。
行き行きて筑摩川ながる。河原ひろし。大橋小橋をわたりゆく。橋の前に駒よせあり。塩名田の駅舎わびしき所也。雨またふり来れり。
『壬戌紀行』
嘉永6年(1853年)5月20日、吉田松陰は江戸に行く途中、塩名田から岩村田へ。
鹽名田・八幡・岩村田を經。岩村田は内藤豐後守が陣屋の在る所なり。豐州は見
(げん)
に伏見奉行となりて聲名あり。
『癸丑遊歴日録』
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