このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
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2009年
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望月宿
〜中山道〜
佐久市望月は旧
中山道
の25番目の宿場町。
慶長7年(1602年)、大森久左衛門吉国が徳川家康の命を受けて設置した宿駅である。
日光例幣使の一行は毎年4月1日に京都を出発し、4月9日に望月宿に宿泊した。
本陣跡は望月歴史民族資料館になっている。
隣に御本陣大森小児科医院があった。
文化財真山家
国の重要文化財である。
脇本陣で問屋と旅籠を兼ねていたそうだ。
「山城屋」
(HP)の看板が見える。
古い家並みが続く。
享和2年(1802年)4月2日、太田南畝は望月宿に泊まっている。
やうやうにもとめ得て望月の駅につき□□□が家をあるじとす。此比日くれぬうちにのみやどりとりしが、けふは道ことに遠く、山をこえ雨をしのぎしかば、従者もみなつかれふしぬ。今宵の宿の家、土もてぬれる壁なり。木曾路のごとき板家にあらず。
『壬戌紀行』
嘉永6年(1853年)5月20日、吉田松陰は江戸に行く途中、
和田
から望月を経る。
二十日 朝翳、巳にして晴る。和田を發し長久保に至り、一嶺を越え、蘆田・望月を經。望月にて津和野侯龜井隱州の西歸するに遇ふ。
『癸丑遊歴日録』
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