このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
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紅坂一里塚
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紅坂一里塚があった。
紅坂一里塚
一里塚は、慶長9年(1604年)、徳川幕府の命によって東海、東山、北陸の3道に各1里(約4km)ごとに築かれた里程標で、土くずれを防ぐため頂上には榎の木が植えられました。ここは紅坂一里塚といい、ここから江戸へ89里、京都へ45里といわれています。
享和2年(1802年)3月27日、太田南畝は紅坂を上り、一里塚を越え輿に乗って坂を下っている。
猶のぼる坂をべに坂といふ。左の方に芦のかりぶきして餅うるうば三人ばかりあり。一里塚をこえて大井まではいくばく里といふに二里ばかりありといへば、また輿にのる。
『壬戌紀行』
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