このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
街 道
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中山道
乱れ坂
「槙が根追分」
から
中山道
を行き、乱れ坂を下る。
乱れ坂
乱れ坂と乱れ橋
大井宿から大湫宿までの3里半(約14km)には、
西行坂
や権現坂などの数多くの坂道があり、全体をまとめて十三峠という。乱れ坂も十三峠の1つで、坂が大変急で、大名行列が乱れ、旅人の息が乱れ、女の人の裾も乱れるほどであったために「乱れ坂」と呼ばれるようになったという。このほかに「みたらし坂」とか「祝い上げ坂」ともいう。
坂のふもとの川を昔は乱れ川といい、石も流れるほどの急流であったという。ここに飛脚たちが出資して宝暦年間に長さ7.2m、幅2.2mの土橋を架けた。この橋は「乱れ橋」あるいは「祝い橋」といい、荷物を積んだ馬(荷駄)1頭につき2文ずつ銭を徴収する有料橋の時もあったという。
恵那市教育委員会
乱れ川
享和2年(1802年)3月27日、太田南畝は乱れ坂を上っている。
うつ木原といふ坂を下りて、石はしる音すさましき流あり。わたせる橋をみだれ橋といふ。みたらしの坂といふを上る事五六町にして、山のいたゞきより見れば、左右の山ひきくみゆ。やゝくだりゆきて右の方に石の灯籠ふたつたてり。いせ道と石にゑれり。
『壬戌紀行』
紅坂一里塚
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