このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
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2009年
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碓氷峠越え
〜晒菜升麻〜
上信越自動車道松井田妙義ICから県道51号松井田下仁田線を行き、五料で国道18号に入る。
「碓氷峠鉄道文化むら」を過ぎて、国道18号の旧道を行く。
坂本宿
を過ぎると、峠道入口がある。
中部北陸自然歩道
上州路碓氷峠越えのみち 環境庁・群馬県
杉木立の間の道を登る。
あちこちに晒菜升麻
(さらしなしょうま)
が咲いていた。
晒菜升麻はきんぽうげ科の花である。
柱状節理
火成岩が冷却固桔するとき、亀裂を生じ、自然に四角または六角の柱状に割れたものである。
刎石坂
刎石坂には多くの石造物があって、碓氷峠で一番の難所である。むかし
芭蕉句碑
もここにあったが、いまは坂本宿の上木戸に移されている。
覗
(のぞき)
坂本宿
が見える。
一茶
はここで「坂本や袂の下は夕ひばり」と詠んだ。
弘法の井戸
弘法大師が刎石茶屋に水がないので、ここに井戸を掘ればよいと教えたと伝えられている霊水である。
四軒茶屋跡
刎石山の頂上で、昔ここに四軒の茶屋があった屋敷跡である。今でも垣が残っている。(力餅、わらび餅などが名物であった。)
寛政4年(1792年)10月5日、栗庵似鳩 は信濃に旅立つ。13日、刎石の茶屋で休む。
是より坂にかゝりて、此の難所伝の嶮岨、半過て刎石 の茶屋に休むに、彼今朝より道行人の待合ていさ是よりハ道も平か也、噺もて行て我宿へも寄せんとそ、是にて御師なる知りぬ、されと名乗なは留杖障せん事ハ、此峠にも風雅の道弘かりて、かねてハ可参由の伝もあれは、弥々事に寄て跡に下りぬ。
木々皆かれて誠碓氷の峠かな
似鳩
『信濃紀行』
享和2年(1802年)4月3日、太田南畝は刎石から坂本宿へ。
はんね石といふ所には石多し。観音あり。風穴などいへる谷々をこえて赤土坂を下り、松木坂を下りゆけば左に鳥居あり。坂本の駅につく。
『壬戌紀行』
文久元年(1861年)11月9日、
皇女和宮
は羽根石で小休、
坂本
に宿泊した。
昭和35年(1960年)、
水原秋桜子
は碓井峠茶屋本陣を訪ねている。
碓井峠茶屋本陣 二句
蚕飼
(こかい)
時牡丹を雨に打たせあり
蚕を飼へば大名の間も蚕のにほふ
『旅愁』
皇女和宮道
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