このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
街 道
中山道
相生の松
佐久酒造組合
から旧中山道を歩く。
佐久市岩村田相生町に相生の松があった。
享和2年(1802年)4月3日、太田南畝は相生の松を過ぎ、岩村田宿へ。
一里塚をこえ左榎右木枯 右相生松あり。又社あり。左のかたに浅間山みゆ。岩村田の駅には、信濃国佐久郡岩村田駅といへる傍
(榜)
示をたつ。駅の中をたてにゆく用水の溝あり。右のかたに、右甲州道、中山道とかける石表あり。駅舎のうちに髪結床あり。
『壬戌紀行』
相生の松に秋しる月夜かな 指月
『
俳諧
夜の柱』(
武曰
編)
文久元年(1861年)11月7日、
皇女和宮
は、ここで輿を留め、御野立小休をとったそうだ。
昭和11年(1936年)5月20日、
種田山頭火
は中山道を岩村田まで歩く。途中で相生の松を見ている。
○また風が吹きだした、彼がどんなに孤独な旅人を悩ますかは、彼でなくては解るまい。
二里近くで岩村田町、相生の松とよばれる中仙道徃還の名木があつた、赤松黒松の雌雄両木が絡み合ひ結びついてゐる。
『旅日記』
現在の松は3代目だそうだ。
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