このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

街 道中山道


浦和宿二・七市場跡

さいたま市浦和区の旧 中山道 を行くと、常盤1丁目に慈恵稲荷神社がある。


慈恵稲荷神社


享和2年(1802年)4月6日、 太田南畝 は浦和宿に入る。

一里塚をこゆれば浦和の駅なり。右に正一位稲荷社あり。烏犀丸うる家あり。王子月参宿と書付し札ある家をみて、やうやく江戸に近づきぬる心地して先うれし。


慈恵稲荷神社に「市場定杭」がある。


正面
 御免毎月二七市場定杭

右側
 天正十八年七月

裏側
 足立郡之内浦和宿

さいたま市指定史跡浦和宿二・七市場跡

 浦和の市場は戦国時代に開設されたものと考えられ、天正18年(1590年)には豊臣秀吉の家臣である浅野長吉から喧嘩口論などを禁じた「禁制」が「浦和市」に対して出されています。浦和市は月6回開かれる六斎市と呼ばれるもので、毎月2と7の日に開かれたため(2日・7日・12日・17日・22日・27日)、「二・七市場」といわれています。

 江戸時代、 十返舎一九 は「代ものを積重ねしは商人のおもてうらわの宿の賑い」と詠み、浦和の市の賑いを表現しています。

 また、川口芝の長徳寺住持である龍派禅珠は、ある歳の暮れ、浦和の宿で萩、屠蘇、麹、膠、末醤(味噌と醤油)、新暦などを購入しています。

 周辺では、蕨(一・六の市)、鳩ヶ谷(三・八の市)、与野(四・九の市)、大宮(五・十の市)で市が設けられており、毎日どこかで市が開かれていたことになります。

12月12日、 調神社 で「十二日まち」が開かれる。

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