このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

街 道


中山道和田宿

国道142号の笠取峠に松並木がある。


笠取峠の松並木


 長野県天然記念物
笠取峠の松並木

 この峠道は、近世五街道の1つ 中山道 の笠取峠である。徳川政権は、関が原の戦い後の慶長6年(1601年)東海道に伝馬制を実施し、翌7年には中山道にも着手した。

 慶長9年、幕府は諸街道の改修、一里塚の設置とともに街道筋に松や杉を植えて並木をつくらせた。

 笠取峠は雁取峠とも呼ばれ、慶長2年(1597年)に設けられた芦田宿と、およそ1里半(約6km)の距離を隔てた長窪宿の間にある。

 笠取峠の松並木は、小諸藩が幕府から下付された数百本の赤松を近隣の村人とともに峠道約15町(約1.6Km)にわたって植樹し、その後も補植行い保護・管理を続けてきた。歌川広重の「木曽街道六十九次」芦田宿に描かれている中山道の名所である。

 長い歳月の間、風雪に傷み枯れ、大正13年(1924年)長野県の調査によると229本があった。昭和49年(1974年)長野県天然記念物に指定された。

 現在は110本である。立科町が笠取峠の旧街道の整備と松並木の保護に努め、往時の姿をとどめている。

   平成5年3月

立科町教育委員会

「木曽街道六十九次」芦田宿


享和2年(1802年)4月2日、太田南畝は笠取峠を上る。

右に寺あり。岨を左にし谷を右にす。むかひにみゆる山にのぼりゆけば大なる坂あり。左は岨右は谷也。芝とり峠といふ所なり。従是西簔笠之助御代官所、東牧野虎之丞領分といへる榜示株(クヰ)あり。


笠取峠の松並木に 若山牧水の歌碑 がある。


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