このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
街 道
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中山道
中山道
戸田の渡し
東京と埼玉の境を荒川が流れている。
戸田橋から見る荒川。
歴史のみち 中山道のご案内
ここから階段を下りて東側へ約13m先へ進むと
「歴史のみち 中山道」
があります。
中山道は、江戸日本橋を始点として慶長7年(1602年)に整備が始められ、第一の宿場である板橋宿を過ぎ、次の蕨宿との間にあるのが荒川(戸田川)にあった「戸田の渡し」でした。
戸田渡船場跡から北に約200mほど残るこの中山道の道筋は、文化3年(1806年)に作成された「中山道分間延絵図」にその様子が描かれています。
また、天保13年(1842年)「中山道戸田渡船場微細御書上」によると、渡船場には家数が46軒あり、渡し口には渡船を取り仕切る川会所がおかれ、街道筋には渡船にかかわる家々や旅人を相手に商う茶屋などが建ち並んでいました。現在もその様子が残っており、周辺には水神社や地蔵堂があります。
私は「約13m先」へ進まず、「志村一里塚」へと進んだ。
木曽街道蕨之驛戸田川渡(英泉)
白魚の戸田のわたりや杜宇
(ほととぎす)
岩本子英
寛政3年(1791年)4月10日、小林一茶は郷里の柏原に帰る途中で「戸田の渡し」を渡る。
戸田の渡りを越へて、
わらび駅
に入れば、薄々と日は暮れぬ。
『寛政三年紀行』
享和2年(1802年)4月7日、太田南畝は蕨宿を出て、戸田川を渡る。
七日 天気よし。明はてぬまにやどりを出て、元蕨をこえ堤村をへて、戸田の川を舟にてわたる。此川上は入間川にして末は隅田川なり。
『壬戌紀行』
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