このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
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2014年
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可成寺
〜芭蕉の句碑〜
可児市兼山に可成寺という寺がある。
可成寺山門
大龍山可成禅寺(
臨済宗妙心寺派
)
織田信長の宿将として数々の武勲を立て、元亀2年(1571年)に宇佐山(大津市)で戦死した金山城主森三左衛門尉可成公菩提のため、その子二代城主長可公が父の名「可成」をそのまま寺号とし、栄厳和尚を迎えて金山城東の寺が峰に創建された。
当寺開基の長可公は、信長・秀吉2君に仕え、鬼武蔵の異名をとったほどの勇将だったが、天正12年(1584年)に長久手において戦死した。その墓石が父君可成公の墓石と合祀されている。
その後を継いだ三代城主忠政公が、慶長5年(1600年)に川中島(長野県)へ転封されたとき、寺は現在地に移転されて今に至っている。昭和42年(1967年)には、蘭丸・坊丸・力丸の三公の供養塔が八百津町中野より当寺に移され安置されている。
当寺は、森家の菩提寺であるため、堂塔のほとんどが江戸時代に森一族の赤穂・三日月・新見等の大名家から寄進されたものであり、明治までは三家から扶持が与えられていた。また、天和3年(1683年)に長可公の百年遠忌法要が営まれて以来、可成・長可・蘭丸・坊丸・力丸諸公の遠年忌が執り行われてきている。寺内には森家にまつわる文化財が多く残されている。
県指定重要文化財 脛当
(長可公愛用品)
市指定の文化財 森武蔵守長可公画像 森家の墓所
(可成・長可・蘭丸・坊丸・力丸)
可児市教育委員会
山門の前に芭蕉の句碑があった。
芭蕉翁之墓
左側面に芭蕉の句が刻まれている。
山路来て何やらゆかしすみれ草
出典は
『野ざらし紀行』
。
貞享2年(1685年)、京都から大津に至る山路を越えて行く時に詠んだ句とされる。
明和3年(1766年)10月12日、素陽坊古牛建立。
山門を入ると、水野春川の句碑があった。
ふるさとの松風こひし秋の山
昭和40年(1965年)、建立。
寺崎方堂
の句碑もあったようだが、気付かなかった。
天文の武威松杉のしくれては
昭和41年(1966年)、建立。
享和2年(1802年)3月26日、
太田南畝
は可成寺のことを書いている。
左のかたに高くみゆる山は森武蔵の城跡にして、可成寺といふ寺ありと云。
『壬戌紀行』
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