このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
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2011年
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犬山城
〜内藤丈草の句碑〜
今日は犬山市犬山北古券にある
犬山城
(HP)に行く。
犬山城は姫路城、
松本城
、
彦根城
と共に国宝指定を受けている。
国宝4城の中で最も古い城である。
天文6年(1537年)、織田信長の叔父織田信康によって築かれた。
天正12年(1584年)、小牧・長久手の戦いで
豊臣秀吉
は犬山城に入り、
小牧山
の徳川家康と対陣した。
元和3年(1617年)、尾張藩主徳川義直の附家老である成瀬正成が3万石で犬山城に入る。
犬山城の石段
犬山城の城門
城門の前に内藤丈草の句碑があった。
涼しさを見せてやうごく城の松
内藤丈草
は尾張国犬山藩士。
元禄元年(1688年)、27歳で致仕、出家して京都に住む。翌年、
中村史邦
の紹介で芭蕉に入門。
元禄13年(1700年)、故郷の犬山に帰るが、暑さに耐え兼ねて美濃へ。
犬山にて市中苦熱
涼しさを見せてやうごく城の松
『旅袋』
には「
見せてうこくや
」とある。
元禄17年(1704年)2月24日、43歳で没。
昭和28年(1953年)11月、内藤丈草の250年祭を記念して建立。
犬山城天守閣
享和2年(1802年)3月26日、太田南畝は鵜沼宿を前に対岸の犬山城を見ている。
坂を下りて右のかたに田面をへだて、はるかに塔のごとくみゆるは犬山の城楼也。山の上につくりたれば、いや高くみゆ。
『壬戌紀行』
渓斎英泉「木曽街道六十九次・鵜沼」
明治24年(1891年)、濃尾大地震で天守閣は半壊。
明治28年(1895年)、修理をする条件で旧藩主成瀬家所有の城となった。
明治38年(1905年)9月、
長塚節
は木曾川の沿岸を行き、犬山城を見上げている。
木曾川の沿岸をゆく
鱗なす秋の白雲棚引きて犬山の城松の上に見ゆ
大正11年(1922年)8月、
若山牧水
は犬山城に登る。
尾張犬山城
犬山の城に登り立ちわが見るや尾張だひらの秋のくもりを
桑畑の中をすぎ来てかへりみる犬山の城は秋霞せり
『山桜の歌』
昭和4年(1929年)4月23日、
与謝野鉄幹・晶子
夫妻は犬山城を訪れている。
昭和47年(1972年)、
山口誓子
は犬山城を訪れている。
犬山城
絨毯を敷きて冷えきる天守閣
『不動』
木曽川に架かるライン大橋
伊木山が見える。
平成16年(2004年)4月、財団法人犬山城白帝文庫が設立され、城の所有は個人から財団法人に移管された。
平成18年(2006年)4月6日、
日本100名城
に選定される。
平成27年(2015年)7月8日、
松江城
が国宝に指定された。
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