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私の旅日記2010年

松本城〜旧開智学校〜
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松本にやってきたら、やはり松本城へ。


 元和3年(1617年)、松本城主小笠原忠真は 明石 藩主となる。戸田康長が上野 高崎 藩5万石より入封。

 寛永10年(1633年)4月22日、結城秀康の三男松平直政が越前国 大野 藩より7万石で入る。

 寛永15年(1638年)、出雲国 松江 藩へ移封。

 寛永15年(1638年)3月、堀田正盛が武蔵川越藩3万5千石から10万石で入部。

 寛永19年(1642年)4月、下総 佐倉 藩へ移封。

写真を撮ろうとすると、写真を撮ってくれと頼まれた。

松本城


 昭和30年(1955年)、解体復元工事完成。(昭和の大修理)

 昭和30年(1955年)9月29日、 水原秋桜子 は松本城を訪れている。

   松本城の修理成る

秋藻刈る水に全き天守閣

『玄魚』

 近世の城で天守が残っているのは、12城。松本、 犬山彦根 、姫路の4城の天守は国宝である。

写真を撮ると、また写真を撮ってくれと頼まれた。

平成18年(2006年)4月6日、 日本100名城 に選定された。

松本城から旧開智学校へ。


旧開智学校


明治6年(1873年)5月、開智学校開校。

明治9年(1876年)4月、新校舎竣工。

重要文化財である。

旧司祭館


 明治22年(1889年)、フランス人の神父・クレマンによって建築されたそうだ。

 明治42年(1909年)5月11日、河東碧梧桐は開智学校と松本城のことを書いている。

 五月十一日。曇、少雨、雷鳴。

 松本に観るべきものが二つある。一は明治八年の創立に成る松本市小学校で、他は四百年前の築造にかかる天守閣とである。学校の校舎はその創立当時のまま現存しておる。廊下に外壁があって、光線もよく通らず、天井もやや低い処から、トンネル学校の別名もあるそうだ。扉の装飾が古風な木目を塗り出したものであったり、時には、波に千鳥などの大まかな彫刻が取り付けてある。

(中 略)

 天守閣は五層楼ではあるが、規模はむしろ小なるものである。もともと地城なので、特に市の風致を添えるというほどのものでもなく、また閣に上った眺望に奇とすべきものもない。単に四百年前の建築が、比較的完全に保存されておるというに過ぎぬ。


平成27年(2015年)7月8日、 松江城 天守が国宝に指定された。

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