このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
〜
2013年
〜
明石城
〜人丸塚〜
JR神戸線明石駅北口の前に明石公園がある。
元和3年(1617年)、小笠原忠真は信州
松本城
主より明石藩主となる。
元和5年(1619年)、小笠原忠真は明石城を築く。
寛永9年(1632年)、小笠原忠真は豊前
小倉
に移封。
日時計
坤櫓
(ひつじさるやぐら)
と巽櫓
(たつみやぐら)
国の重要文化財である。
明石城では天守閣が造られなかった。
坤櫓
坤櫓の下に亀毛の句碑があった。
肱を曲げてとはしぐれ聞く夜なるべし
亀毛は儒者・漢詩人梁田蛻巖
(ぜいがん)
の俳号。
『片玉集』に収録されている。
「肱を曲げて」は、『論語』(述而)の「
子曰く、疏食
(そし)
を飯
(くら)
ひ水を飲み、肱を曲げて之を枕とす。楽しみ亦た其の中に在り。不義にして富み且つ貴きは、我に於いて浮雲の如し。
」に拠る。
宝暦7年(1757年)、86歳で没。
昭和38年(1963年)、蛻巖の二百回忌に建立。
遺跡
人丸塚
一、弘仁3年(812年)僧空海がここに楊柳寺を建てた。
一、仁和のころ(880年のころ)住職覚証が柿本人麿公の夢のおつげで人麿公を祀った。
一、明石築城後は城の守り神として祀られてきた。
兵庫県
元和8年(1622年)4月5日、
人丸社
が建てられ、遷宮。
貞亨5年(1688年)4月25日、芭蕉の猿雖(惣七)宛書簡の「古塚十三」の中に「人丸塚」がある。
明石城の夜景
嘉永4年(1851年)3月17日、吉田松陰は藩主に従って江戸に向かう途中、明石を経て大蔵谷に泊まる。
明石城中を經て大藏谷に宿す。驛傍中に人丸社あり、往いて觀る。碑あり、末に署して曰く、「明石城主松平日向守源信之立つ」と。
『東遊日記』
石田波郷
は明石城址を訪れている。
明石城址 二句
汗垂れて鳶を聞くなり松隱れ
直はしる蜥蜴追ふ吾が二三足
『風切』
平成18年(2006年)4月6日、
日本100名城
に選定された。
私の旅日記
〜
2013年
〜に戻る
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください