このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
街 道
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中山道
中山道
鴻巣宿
鴻巣の県道57号さいたま鴻巣線は旧中山道 。
鴻巣宿は
中山道
7番目の宿場町。
岐岨街道 鴻巣 吹上富士遠望 (英泉)
元禄4年(1691年)10月9日、
森川許六
は彦根藩中屋敷を出て彦根藩に帰る。その日は鴻巣に泊まる。
こよひは武蔵の国鵠の巣といふ所にとまり侍る。十日未明にたつ旅のかりやのありさま、上段下段とやらんをしつらひたれ共、はゞからず一夜を明したるは、誠に旅したるおもひ出ならん
大名の寝間にも寝たる寒さかな
木がらしや百姓起て出る家
『五老文集』
享和元年(1801年)3月18日、
鶴田卓池
は
井上士朗
に随行して江戸を立ち信州へ旅をする。
三月十八日江戸ヲ立
鴻巣にて
忘れては杖買ふ花の木下哉
春雨の朝々あかる旅寝哉
『東都紀行』
享和2年(1802年)4月6日、太田南畝は鴻巣宿を通る。
鴻の巣の駅は浅岡彦四郎御代官所といへる榜示たてり。左の方に
(社)
みゆ。駅舎のさまひなびたり。小川素麪、行田膏薬など
(いふ)
書付みゆ。左に寺二つばかりあり。右に
勝願寺
あり。下馬札をたつ。
『壬戌紀行』
本町4丁目に「鴻巣宿本陣跡」の碑があった。
鴻巣本陣跡
文化6年(1809年)4月5日、小林一茶は江戸を立ち、鴻巣宿に泊まっている。
十二里鴻巣下の油屋に泊
『文化六年句日記』
文化7年(1810年)5月10日、一茶は
上尾
で雨に遭い、鴻巣宿に泊まっている。
鴻之巣 油屋次良左衛門[に]泊
『七番日記』(文化7年5月)
天保2年(1831年)10月11日、渡辺崋山は「毛武」へ旅立ち、夜更けになって鴻巣に泊まる。
人の行きゝもなく雨またしきりにふり出す。人の家かりて簑と笠とになれ、なかなか旅人のけしきなれど、つかれてくるしさ言んかたなし。漸に鴻の巣穀屋次郎兵衛かたに宿かる。
「毛武游記」
嘉永6年(1853年)5月23日、吉田松陰は江戸に行く途中、
熊谷
から鴻巣に至る。
二十三日 晴。熊谷を發し鴻巣に至る、此の間四里八町。
『癸丑遊歴日録』
本宮町1丁目に鴻神社があった。
鴻神社
明治6年(1873年)、氷川社・熊野社・竹ノ森雷電社の3社を竹ノ森雷電神社の地に合祀したもの。
竹ノ森雷電社は鴻巣宿の鎮守として崇敬されていた。
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