このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記2014年

立場茶屋〜越前屋〜
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  上松小学校 から旧 中山道 を行くと、越前屋と田瀬屋の2軒の立場茶屋が並んでいた。


越前屋


寛永元年(1624年)、創業。

 享和2年(1802年)3月29日、 太田南畝 は「ねざめ蕎麦」と書いている。

ゆきゆきて左の方に臨川寺といふ寺あり。門前の人家に蕎麦切をうる。名づけて、ねざめ蕎麦といふ。こゝは名におふ浦島が寝覚の床といへる所なり。


十返舎一九 は越前屋に立寄り歌を詠んでいる。

そば白くやくみは青くいれものは赤いせいろに黄なるくろもじ

浦島太郎にあやかって寿命そばと呼ばれていたそうだ。

それより寐覺の建場にいたる。此ところ蕎麥切の名物なり。中にも越前屋といふに娘のあるを見て、

   めいぶつのそばきりよりも旅人はむすめに鼻毛のばしやすらむ

岐曾街道續続膝栗毛』(七編下巻)

二里半上松駅にいたる。臨川寺 は駅路蕎麦店間より二丁許の坂を下りている。此書院に古画幅を掛たり。

森鴎外 『伊沢蘭軒』

 大正15年(1926年)9月22日、 荻原井泉水 は「うらしま寿命そば」のことを書いている。

「うらしま寿命そば」、この看板に私は覚えがあるが、二軒の蕎麦屋の一軒は椅子と卓などを並べていた。そこの細い道を川の方へ二三町降りた所が寝覚床臨川寺であるが、私はそこでも庫裡の入口に「土地提供義会」という看板がさがっているのに驚かされた。聞けば、寝覚里文化村というのが経営されているのだそうである。

『随筆芭蕉』 (木曾路の一日)

昭和41年(1966年)、 越前屋 (HP)は国道19号沿いに店を移して営業。

臨川寺 へ。

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