このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

街 道


東海道桑名宿

桑名市片町に「歴史を語る公園」がある。


「歴史を語る公園」


桑名は東海道 42番目の宿駅。

東海道五十三次 桑名宿

 江戸時代の 東海道 は、慶長6年(1601年)正月に定められ、桑名宿も設けられた。江戸から約96里(約384Km)、京都から約30里(約120Km)であった。宮宿(熱田)から海上7里(約28Km)、四日市宿までは陸上3里8丁(約13Km)。 七里の渡し場 から川口町、江戸町、片町、京町、吉津屋町、鍛冶町、新町、伝馬町、鍋屋町、矢田町、福江町までが桑名宿であり、さらに大福、安永を通り町屋橋を渡って、東海道が続いていた。

 天保14年(1843年)調べでは、宿内人口は8,848人であり、本陣2軒、脇本陣4軒、旅籠屋120軒があった。

桑名市

 正徳4年(1714年)、稲津祇空は難波に帰る途次、桑名を越える。

   桑名 をこして

鍋焼や跡は七里のひな曇

 享和元年(1801年)3月6日、大田南畝は大坂銅座に赴任する旅で桑名宿に着いた。

八幡宮の前を過て、福江町にいたり、町屋川の橋をわたりて、おぶけといふ所をみれば、家々の女松のかさを焼て、蛤をむしてすゝむ。


 嘉永6年(1853年)9月27日、吉田松陰は長崎に赴く途中で宮から桑名に泊まる。

二十七日  宮を發し、桑名に航し、宿す。森伸助を訪ふ。


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