このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記2009年

光則寺〜宮沢賢治の詩碑〜
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鎌倉市長谷に光則寺という寺がある。


行時山光則寺


日蓮宗 の寺である。

 北条時頼の家臣宿屋光則(やどやみつのり)は日蓮聖人に帰依し、屋敷を光則寺としたと伝えられている。

 昭和30年(1955年)、 水原秋桜子 は光則寺を訪れている。

   鎌倉光則寺

堂後なる紅梅にほふしづけさよ

長谷の山くらく梅苑をしづめけり

『玄魚』

 昭和30年(1955年)12月9日、光則寺で物芽会。

枯葎なれどもそれに秩序あり

物芽会。光則寺。日朗上人の土牢のあるお寺。四季の花の絶えない境内には池もある。住職自らいつも庭に下りて草花の世話を去れてゐる。老僧が病臥される前まではよく句会場に拝借した親しいお寺であつた。

『虚子一日一句』 (星野立子編)

本堂手前の左手に宮沢賢治「雨ニモマケズ」の詩碑があった。


宮沢賢治 は法華経の信者であった。

昭和60年(1985年)12月、建立。

 明治44年(1911年)7月21日、 夏目漱石 は光則寺の傍にあった長谷川是公の別荘に遊んだ。

 光則寺の入口の右手の高い所なり、東南が開けて、東の正面に 材木座 と山を見る。中間に松原が見える。

光則寺の南は由比ヶ浜海岸


   由比の浜

人を鳴鴎を鳴や浜千鳥


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