このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記2012年

称名寺〜浄土庭園〜
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横浜市金沢区金沢町に称名寺がある。


正嘉2年(1258年)、北条実時の持仏堂が始まりとされる。

文明18年(1486年)、道興准后は「時宗の庵」に立ち寄っている。

金澤にて時宗の庵の侍りけるに。立よりて茶を所望しけるに。庭に殘菊の黄なるを見てよめる。

   誰こゝにほりうつしけん金澤や黄なる花さくきくのひともと

此の在所に稱名寺といへる律院はべり。殊の外なる古所にて。伽藍などもさりぬべきさまなる。所々順禮し侍りけり。


境内は国指定の史跡である。

惣門(赤門)


明和8年(1771年)、再建。

明和8年(1771年)4月27日、諸九尼は金沢称名寺に参詣している。

 廿七日 金沢称名寺にまうで、四石八木などいふ古き跡を見ありく。中にも西湖の梅など、花咲るころの見まほし。


仁王門


文政元年(1818年)、再建。

中島に架かる反橋


浄土庭園


町屋村にあり。弥勒院と号す。真言律にして南都の西大寺に属す。当寺は亀山帝の勅願所にして、北条越後守平実時の本願、その子顕時の建立なり。(実時を称名寺と号け、又法名を正慧といふ。この地に居住せらる。顕時より金沢を家号とす。顕時、法名を慧日と号す。霊牌に弘安三年三月二十八日に卒すとあり。)


金堂


天和元年(1681年)、再建。

本尊は弥勒菩薩。

真言律宗 別格本山の寺である。

金堂から見た浄土庭園


釈迦堂


文久2年(1862年)、建立。

北条実時の像


金沢文庫を創設。

昭和5年(1930年)、 与謝野晶子 は称名寺を訪れているようである。

青銅の手ざはりならぬものも無し北條寺の山門のなか

北條の一支族にて名利をばこれに代へたる金澤文庫

みほとけの御稱名寺しかれども文庫の主の名も忘れめや

稱名寺入相の鐘打つことの絶えても秋は寂しかりけり

「落葉に坐す」

蝋梅が咲いていた。


12月、与謝野晶子は再び称名寺を訪れている。

御障子の四五寸開きしところより夕明りする稱名寺かな

關東の武家の御堂の稱名寺師走にさむし階ひくくして

稱名寺結縁したる御佛のしめしたまへるひかりの銀杏

金澤の文庫の窓のうつれるを翡翠眺めて飛ばぬ池かな

「落葉に坐す」

 明治30年(1897年)、伊藤博文は金沢文庫を称名寺大宝院跡に再建したが、関東大震災で失われた。

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