このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
新年の旅日記
山内神社
〜「大政奉還を喜ぶ山内容堂公」の像〜
高知市鷹匠町の鏡川沿いに山内神社がある。
東参道入口に馬場孤蝶の文学碑があった。
一輪ノ皎月中天ニ輝クヲ見タリ
昭和62年(1987年)6月、孤蝶の碑を建てる会建立。
孤蝶馬場勝弥は明治2年11月8日高知城下中島町西詰に生まれた。兄辰猪の気概をうけつぐと共に文学的資質に恵まれ、
藤村
や
樋口
らと交わり、小説・詩・評論・随筆・小唄・外国文学にわたる広い領域で活躍、人権・社会主義を求めて生きた。昭和15年6月22日東京渋谷区松涛町で没す。享年70歳。
手水舎の奥に澤村芳翠の句碑があった。
亭午の日浮立たせゐし冬紅葉
亭午は正午のこと。
平成3年(1991年)1月、龍巻会建立。
澤村家は、藩主山内豊昌公より豊信公の世まで7代にわたり典医として仕えた。
先生は大正3年12月1日高知市水通町76番地に生る。本名良高。澤村家九代。医学博士。俳誌龍巻主宰。
高濱虚子
・高野素十門。ホトトギス同人。
なお、能楽喜多流正教授、太鼓は葛野流、小鼓は幸流。社中芳翠会を主宰す。
山内神社
「大政奉還を喜ぶ山内容堂公」の像があった。
平成14年(2002年)4月10日、山内家土佐入国400年を記念して建立。
土佐十五代藩主山内容堂(豊信)
1827〜1872
幕末激動の時勢に際し、その識見と才能をもって国事に参与。幕末四賢侯の一人として天下に名を馳せる。慶応3年10月、大政奉還を建白し維新への扉を開く。
ギヤマンの杯を片手にあぐらをかいている様子を再現したそうだ。
題字は山内家
第十八代
山内豊秋。
西参道を出ると「近衛兵之碑」があった。
碑 文
一 昔 近衛兵ありき 御垣守とて歌に詠まる
二 明治四年 薩長土三藩 兵を献じ 近衛兵となる
三 明治七年 徴兵制による近衛部隊編成さる
四 明治二十四年 近衛師団新編 国軍の中堅となり
兼ねて禁闕守衛と儀仗の重責を負う
五 我等土佐の健児 選ばれて栄光を担い 郷関を出で 至尊に咫尺し
また戦野に若き血を燃しつ
六 昭和四十四年 高知県近衛会を結成 戦後の再建に微力を尽くす
経済大国となるも 他面史観と倫理観の確立を望み
思いをこの一碑に託す
御垣守近衛健児の赤心をこの碑に託す祖国永久なれ
高知県近衛会
高知県近衛会会長山内豊秋書。
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