このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
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http://book.geocities.jp/urawa0328/kuhi.html芭蕉の句碑
A href="http://book.geocities.jp/urawa0328/kuhi-hosomiti.html">『奥の細道』
夏山に足駄を拝む首途(かどで)哉
明王寺
から修験光明寺跡へ。
芭蕉の句碑がある。
夏山に足駄を拝む首途哉
「夏山に足駄を拝む首途哉」の句碑は
黒羽城址公園
の入り口にもあった。「芭蕉の里くろばね案内図」と照合すると、黒羽城址公園の入り口にあったのも文学碑なのだろう。
光明寺は、文治2年(1186年)に那須与一が阿弥陀仏を勧請して建立したが、その後久しくに廃絶。永正年間(1504〜1521年)津田源弘により修験堂として再興された。
芭蕉が修験光明寺に招かれたのは、4月9日(新暦5月27日)のこと。
一 六日ヨリ九日迄、
雨不止。九日、光明寺ヘ被招。昼ヨリ夜五ツ過迄ニシテ帰ル。
『曽良随行日記』
当時は第7代津田源光権大僧都で、妻は鹿子畑(かのこはた)左内の娘なので、翠桃が口添えをしたのであろうと書いてあった。
黒羽光明寺行者堂
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夏山や首途を拝む高あしだ 翁
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同
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汗の香に衣ふるはん行者堂
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「汗の香に衣ふるはん行者堂」は
『雪満呂気』
で曽良の句とする。
元禄9年(1696年)、天野桃隣は行者堂
に参詣し、句を詠んでいる。
行者堂
に詣
○手に足に玉巻葛や九折(つづらおり)
「
かさねとは八重撫子の名成べし 曾良
」の句碑へ。
芭蕉の句碑
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