このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
芭蕉の句碑
『奥の細道』
〜東北〜
風流のはしめや奥の田うへ唄
白河市白坂の国道294号(陸羽街道)沿いに
白坂境明神
がある。
社殿の裏に芭蕉の句碑があった。
風流のはしめや奥の田うへ唄
元禄2年(1689年)4月、「奥の細道」の旅で須賀川の
相良等躬亭
で巻かれた歌仙の発句である。
安永6年(1777年)5月、白河藩士旭窓晋江建立。
福島県では二本松市亀谷の
芭蕉の句碑
に次いで古いものである。
寛政3年(1791年)6月4日、鶴田卓池は白坂境明神を訪れて芭蕉の句碑を見ている。
白坂ヨリ関ト云処へ八丁余りアリ 陸奥下野ノ国境也
翁ノ碑 風流のはじめやおくの田うゑ歌
『奥羽記行』
(自筆稿本)
山口誓子
は白坂境明神の句碑を訪ねている。
石段を登って行くと、句碑は関東側の社にはなく、奥州側の社にあった。重々しい自然石。
風流のはじめや奥の田うへ唄
白河の関を越えて聞く、みちのくの田植歌は、風流のはじめだ、と云うのである。私はこの「風流」にひっかかる。
句碑は安永六年の建立。うしろは斜面で隈笹が生えている。暗くはない。石は雨に濡れて黒ずんでいたが、字はよく読める。
『句碑をたずねて』
(奥の細道)
『奥の細道』
〜東北〜
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