このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
芭蕉の句碑
『奥の細道』
〜北陸〜
月に名を包みかねてやいもの神
尼御前SA
から北陸自動車道を上り、南条SAに車を停める。
南条SAにも芭蕉の句碑があった。
月に名を包みかねてやいもの神
この句は『奥の細道』にはない。
出典は『ひるねの種』。
元禄2年(1689年)初夏、松尾芭蕉は門弟の曽良を伴って江戸
深川
をたち、奥州、北陸の旅に出ました。秋、大垣にたどりつくまで約5ヶ月、旅程600里(2,400キロメートル)に近い大旅行の紀行が「奥の細道」であります。
当時の長期間を要したその旅程は、いまでは東北、北陸自動車道、名神高速道路で結ばれ、多くの皆様に車による快適な旅行を楽しんでいただいており、まさに隔世の感があります。
この句は、その旅もやがて終りに近づき越前
福井
から敦賀に向かう途中、湯尾峠(現在の北陸自動車道今庄インターチェンジ附近)にさしかかったおり、茶屋の軒下にぶら下がる疱瘡よけのまじないの杓子(いもの神)が、おりからの月明かりに照らされて浮かび上がったのを見て、その姿をユーモラスに詠んだ句と言われております。今、芭蕉の奥州、北陸の旅から300年を迎えることとなりますが、くしくも今夏北陸自動車道が全通いたします。
これを記念し、芭蕉のゆかりの湯尾峠に近いここ南条サービスエリアに句碑を建立するものです。
昭和63年3月吉日
日本道路公団
南条SA(
下り
)には「
あすの月雨占なはんひなが嶽
」の句碑がある。
今庄総合事務所
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