このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
宗覚寺
〜加藤忠正の墓〜
八代市妙見町の中宮川沿いに宗覚寺という寺がある。
泉福山宗覚寺
日蓮宗
の寺である。
泉福山宗覚寺と加藤忠正の墓
宗覚寺は加藤清正の嫡男忠正の菩提所である。最初に建てられた本成寺が寛永11年(1634年)、八代城下に移転した跡は、墓守りの草庵がおかれ、本町から50年間供養を続けた。
延宝8年(1680年)、八代城主 松井直之(三代)のあっせんで藩主細川綱利は、本山の日達を住職にすえ、忠正の法名からとって宗覚寺と改め、50年目の天和3年(1683年)に本堂が創建された。
宗覚寺は創建以来寺領などすべて細川家の寄進をもって経営され、経済的基礎が確立した。山門以外当時の建物は西南役の兵火で全焼し、今の本堂、庫裏は明治18年頃の再建である。
加藤主計頭忠正の墓所は悟真寺に近い宗覚寺境内の東の丘上にある。忠正の幼名は熊之助、将軍秀忠の一字を賜り忠正と名のり、慶長12(1607年)正月27日江戸屋敷で疱瘡にかかり死亡した。法名は「理性院殿宗覚日等居士」で墓所の広さ1坪、瓦葺のお霊屋には凝灰岩の五輪塔一基が祀られている。塔銘は各輪正面に「慶長一二丁未正月二七日」「加藤主計頭宝塔」の陰刻があり、八代地方における桃山様式石造塔婆の代表作である。
八代市教育委員会
本堂の裏に芭蕉の句碑があった。
芭 蕉 翁
いなつまにさとらぬ人の尊さよ
文化4年(1807年)8月、建立。
出典は
『己が光』
(車庸編)。
元禄3年(1690年)、芭蕉47歳の句。
『蕉翁句集』
(土芳編)は「元禄四未ノとし」とする。
加藤忠正の墓
「私の旅日記」
のトップページへ
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください