このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

今年の旅日記

藏六庵〜西南の役菊池の戦い薩軍碑〜
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菊池市隈府に蔵六庵がある。

三十三番 横道藏六庵


菊池三十三観音札所の打ち留めである。

蔵六庵の左手に「すゝき塚」があった。


宗伝次建立。

右側面に「宝暦九年五月」とある。

詳細は不明。

蔵六庵の坂下に渕園団地がある。

渕園団地の入口に「 西南の役 菊池の戦い薩軍碑」があった。


史 文


平成7年(1995年)12月、坂口建築都市設計坂口金次郎寄贈。

明治10年3月4日、官軍と薩軍の戦闘が 田原坂 で始まり、20日まで死闘が続き、薩軍は敗れた。薩軍は3月24日、隈府での守備を決める。中町に本陣を置き、羽手ノ木、赤星口、花房、高塚袈裟、尾原西郷坂、米原、玉祥寺、菊池本城跡等に陣を構え、薩隊、熊本協同隊、飫肥隊、貴島隊等が守る。西覚寺を陣地本営、宿営所として、中町の盆屋や、音光寺、広現寺、民家等を当て、西照寺に薩軍病院を置いた。4月10日早朝。大津方面に撤退するまで、戦いは熾烈を極め、隊長佐土原藩藤吾、半隊長阿万南八郎、沼津小弥太、薩軍隊長伊地知弥兵衛等、多くの戦死者を出した。戦死者は官軍方38名、薩軍方300名近くになった。戦死者で官軍方は城山に埋葬された。薩軍方は不分明になっていたが、当時の音光寺十二代得善住職の手によって、渕園墓地に埋葬されたことが115年目にして薩軍方の墓地を見出した。墓標は楠の木と伝えられる。今ここに薩軍戦没者の御霊よ、安らかにと祈る。



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