このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

新年の旅日記

祇園白川〜吉井勇の歌碑〜
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祇園に 吉井勇 の歌碑があるというので、訪ねてみた。

白川新橋


モデルの撮影のようだった。

祇園白川


白川の北側に吉井勇の歌碑があった。


かにかくに祇園はこひし寐(ぬ)るときも枕のしたを水のながるる

かにかくに碑

 この歌は、祇園をこよなく愛した歌人として知られる吉井勇(1886〜1960)が明治43年(1910年)に詠んだ一首で、彼の歌集『酒ほがひ』に収められている。

 当時は白川の両岸に茶屋が建ち並び、建物の奥の一間は川の上に少々突き出ており、「枕のしたを水のながるる」はその情景を詠んでいる。しかし、第二次世界大戦下の昭和20年(1945年)3月、空爆の疎開対策に白川北側の家々は強制撤去され、歌碑が建っているこの地にあった茶屋「大友(だいとも)」も犠牲になった。大友は当時の文人、画人たちと幅広く交流のあった磯田多佳の茶屋である。

 昭和30年11月8日、友人たちにより吉井勇の古稀(70歳)の祝いとして、ここに歌碑が建立された。発起人には、四世井上八千代、大谷竹次郎、大佛次郎、 久保田万太郎 、里見敦、 志賀直哉 、新村出、杉浦治郎右衛門、高橋誠一郎、髙山義三、谷崎潤一郎、堂本印象、中島勝蔵、西山翠嶂、湯川秀樹、和田三造などそうそうたるメンバーが顔をつらねた。

 以来、毎年11月8日には吉井勇を偲んで、「かにかくに祭」が祇園甲部の行事として行なわれている。

京都市

 大正4年(1915年)、 夏目漱石 は木屋町の宿から祇園の茶屋「大友」の女将磯田多佳に発句を送っている。



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