このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
新年の旅日記
高山彦九郎
〜山口誓子の句碑〜
三条大橋
を渡り、京阪電鉄三条駅へ。
三条大橋東詰南側に「高山彦九郎皇居望拝之像」があった。
江戸時代、ここ三条大橋は
東海道
五十三次の起終点にあたり、往時の都の出入口であった。 今ここにある銅像は、高山彦九郎正之(1747年〜1793年)の姿を写したものである。
高山彦九郎は、群馬県の出身である。18歳の時以来、前後5回、上洛したが、京都に出入する折には、この銅像の姿のように、京都御所に向かって拝礼した。
その姿は、
大御門
(おおみかど)
その方
(かた)
向きて橋の上に
頂根
(うなね)
突きけむ真心たふと
橘 曙覧
(あけみ)
と和歌に詠まれた。
明治維新を成就した勤皇の志士達は、彦九郎を心の鑑と仰いだと言われる。
後、明治の中頃の俚謡、サノサ節には、
人は武士
気概は高山彦九郎
京の三条の橋の上
遥かに皇居を
ネ
伏し拝み
落つる涙は鴨の
水アサノサ
と謡いつがれた。
京都市観光部振興課
高山彦九郎大人顕彰会寄贈
少し離れて、山口誓子の句碑があった。
燃えさかり筆太となる大文字
『不動』収録の句。
昭和44年(1969年)8月、
山口誓子
は京都で大文字を見る。
昭和45年(1970年)8月、建立。
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