このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

新年の旅日記

坂本龍馬寓居之趾〜後藤象次郎〜
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京都市中京区大黒町(河原町通)に「木の店酢屋」がある。


「木の店酢屋」に「坂本龍馬寓居之趾」があった。


坂本龍馬史蹟之一端

時ハ慶應三年六月十三日 龍馬 は後藤象次郎と相携へて京都に入りしが、天下の形勢は愈々展開して倒幕の擧兵將に相迫まらんとするの傾向にあり。此に於て龍馬ハ寧此際幕府に政權を奉還せしむるの儀を提出せんと、後藤と共に相謀りて藩論の貫徹に努む。此間長崎及高知の間に相往來し、十月九日再ビ入洛し、遂に同年十月十四日將軍徳川慶喜大政返上するの確定議を見るに至れり。

龍馬ヨリ國元大姉ニ差出シタル書面六月二十九日ノ記事ニ曰

「當時を京都三條川原町下る車道すやに有申候」トアリ、すやハ即チ中川嘉兵衛方ニシテ現在ノ住所是なり

翻て思ひ推考するに大政奉還書策、當時龍馬ハ此家に在宿中の事ならんか。而此のすやハ以前よりの材木商にして今尚次續し當主の前々代に當たれり。家屋も亦その當時の儘なりしが、昭和三年三月改築するに至る。

是れより龍馬ハ 越前 に至たり、三岡八郎後ノ由利公正子爵に面會し、大政奉還後の經濟策の所見を叩きて歸へり、京都に入れハ幕吏その身邊を覘ふ事頗る急なるにより藩士某の注意を以て河原町蛸藥師下ル 井口新助 近新方に轉宿し、秘密に龍馬の一身保護方を謀りたるにもカゝハラズ十一月十五日夜終に凶刃に斃れたり。

此夜書面を以て各所に散在せる海援陸援兩隊に變事を告ぐるや大阪に在りし隊士等上京し、或ハすやに宿るもの陸奥關白峯長岡菅野等他數名に及び以て後事を策せしと云ふ。

   當時の海援隊日記同家に存するものあり

史談會

京都市中京区河原町通三条下る大黒町に「後藤象次郎寓居之跡」がある。


後藤象次郎寓居之跡&記念ギャラリー

 この奥は、江戸幕末に活躍した土佐藩重役の後藤象二郎(1838〜1897)が寓居した醤油商「壺屋」の跡地です。

 象二郎は坂本龍馬とともに「大政奉還」を発案、提起して、それを幕閣や諸藩と調整して実現させた立役者です。

 また象二郎は明治維新後も政府高官として各大臣を歴任し伯爵に叙されています。

 この路地を進んだホテル一階に象二郎を記念したギャラリーが公開されていますので、ご自由に見学ください。

「記念ギャラリー」は後日。



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