このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

万葉の歌碑
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水沢観音 に万葉の歌碑 がある。


伊香保ろのやさかのゐでに立つ虹の顕ろまでもさ寝をさ寝てば

 「やさかのゐで」は橋本直香らの考証によれば、この地に近い船尾滝より流下する滝沢川に設けた往古の堰堤である。天保5年(1834年)上野田村名主梅園森田四郎兵衛重信がその地に潅漑施設を造り、後に明治用水となり、現代まで恩恵を及ぼしている。

これは歌碑の裏の解説。

歌碑の表は万葉仮名で書かれている。


伊香保呂能 夜左可能爲提爾 多都弩自能 安良波路萬代母 佐禰乎佐禰弖婆

歌碑の傍らにも解説が書いてあった

伊香保ろのやさかの堰塞(いで)に立つ虹の顕(あらは)ろまでもさ寝をさ寝てば

 厳秀(榛名山)の八坂の堰塞(いで)にあざやかな朝虹が立つ。その虹のようにはっきりと2人の仲が知れてしまってもかまわない。それまでも共寝をしたならばどんなによかろう。さあ寝よう。寝ましょう。

 万葉集4,500余種中ただ1つの虹の歌です。8世紀に万葉集が編まれた時採られた民謡で、八坂の堰塞(いで)に潅漑されたこの東南麓一帯の地の当時の有馬郷の人々が折にふれて歌いはやしたものと思われます。上古の農民の大らかな情感が伝わって来るではありませんか。

水沢観音の飯縄大権現の裏にも同じ歌の歌碑がある。


伊香保呂能 夜左可能爲提爾 多都弩自能 安良波路萬代母 佐禰乎佐禰弖婆

同じような解説が書いてある。

この歌の歌碑は 伊香保温泉神社 にもある。

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