このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
〜
2012年
〜
国史跡
松坂城跡
〜松阪市立歴史民俗資料館〜
松阪に来たので、松坂城跡に行ってみた。
国史跡
松坂城跡
松坂城は、蒲生氏郷が天正16年(1588年)この四五百森
(よいほのもり)
に築城した平山城である。
蒲生氏郷が陸奥黒川(現在の福島県
会津若松
市)へ移封後、天正19年(1591年)に服部一忠、文禄4年(1595年)に古田重勝と城主が変わり、元和5年(1619年)に徳川頼宣が和歌山藩主となると同時に和歌山藩領となり、以降明治になるまで勢州領(松坂・田丸・白子等)18万石を統轄する城代が置かれてきた。
城は北を大手、南を搦手とし、本丸・二の丸・三の丸・隠居丸・きたい丸からなり、本丸・二の丸等には高い石垣を築き、外郭に土塁や堀をめぐらせていた。
3層の天守と金ノ間・月見・太鼓等の櫓
(やぐら)
がそびえ立っていたが、正保元年(1644年)の台風で天守は倒壊したと伝えられている。また、二の丸には寛政6年(1794年)に着工された御殿(別名徳川陣屋)があった。
明治14年(1881年)松坂公園となり、現在に至っている。
平成18年(2006年)4月6日、
「日本百名城」
選定。
松阪市立歴史民俗資料館
(旧飯南郡図書館)本館・倉庫
資料館の建物は、明治43年(1910年)の皇太子の飯南郡への行幸を記念して一般から寄付を募り、飯南郡図書館として建設されたもので、明治45年4月に開館した。開館当初は、本館、倉庫、新聞雑誌縦覧所の3棟があったが、新聞雑誌縦覧所は昭和初期に解体された。
本館は2階建てで、伝統的な和風の意匠をもち、左右に翼部、中央に玄関が突出した左右対称の構成に特徴がある。倉庫は、本館の東に隣接して建つ2階建ての土蔵で、漆喰壁を下見板で覆い、外観の意匠を本館と合わせているが、高さを低く押さえている点が、立ちの高い本館とは対照的になっている。
その後、背部を増築して松阪市立図書館として使用してきたが、昭和52年(1977年)に図書館が別の場所に新築移転したため、翌年に内部改修を行い、松阪市立歴史民俗資料館として現在使用されている。
松阪市教育委員会
国登録有形文化財
である。
嘉永6年(1853年)5月8日、吉田松陰は江戸に行く途中、
津
から松坂に至る。
八日 晴。津を發し、雲津に至れば川あり。舟にて之れを渡り、月本に至る。是れを追分と稱す。蓋し伊賀より三軒茶屋を經て以てここに出づべく、ここは分岐の處なり。松坂に至る。松坂は紀州侯の領する所にして城あり、戸口繁殷、人家相連ること里許
(りばかり)
なり。
『癸丑遊歴日録』
梶井基次郎文学碑
『城のある町にて』より
今、空は悲しいまで晴れてゐた。そしてその下に町は甍を並べていた。白亜の小学校。土蔵作りの銀行。寺の屋根。そして其処此処。西洋菓子の間に詰めてあるカンナ屑めいて、緑色の植物が家々の間から萌え出てゐる。
昭和49年(1974年)8月、市制施行40周年記念事業として建立。
松坂城跡から見下ろす。
「私の旅日記」
〜
2012年
〜に戻る
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください