このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

新年の旅日記

仙台城〜「三太郎の小径」〜

仙台駅から地下鉄東西線に乗り、国際センター駅下車。

仙台城大手門跡


大手門脇櫓


「支倉常長像」があった。


 昭和47年(1972年)11月13日、創刊75周年記念に河北新報社・生誕400年記念に支倉常長顕彰会が建立。

 支倉常長は藩祖伊達政宗の使節として、慶長18年 月ノ浦を出帆し太平洋・大西洋を横断 ローマに至り教皇パウロ5世に謁見した この間8年の歳月を費し 幾多の苦難を乗り越え よくその使命を果たした

 当時としては誠に国際的な偉業であった

 昭和46年 常長の生誕400年を迎えこれを顕彰する為 ゆかり深いこの地に銅像を建立する

「三太郎の小径」に斎藤茂吉の歌碑があった。


わがこころ和ぎつつゐたり川の瀬の音たえまなき君が家居に

平成2年(1990年)4月15日、建立。

 山形の生んだ不世出の歌人斎藤茂吉(明治15年−昭和28年)は、哲学者阿部次郎の招きにより、昭和3年5月、東北大帝国大学における講演のため来仙した。その折広瀬川畔の阿部次郎宅に2泊し、次の5首(歌集「ともしび」所収)を詠んだ。

   みちのくに来しとおもへば楽しかりこよひしづかに吾はねむらむ
   さ夜ふけと更けわたるころ海草のうかべる風呂にあたたまりけり
   朝がれひ君とむかひてみちのくの山の蕨を食へばたのしも
   わがこころ和ぎつつゐたり川の瀬の音たえまなき君が家居に
   いとまなき吾なりしかどみちのくの仙台に来て友にあへるはや

 同郷の二人の50年にわたる友情を記念し、あわせてその歌集を賛え、有志を計ってここに歌碑を建設した。

阿部次郎三女大平千枝子識

斎藤茂吉記念館によれば、99番目の 茂吉歌碑 である。

木俣修の歌碑


蔦かつらあかくもみつるしろあとに百舌は高なくゆふさりくれは

 昭和47年(1972年)10月29日、宮城県師範学校昭和7年3月から同13年3月卒業生建立。

木俣修先生この地仙台に教師たりし若き日成したる名歌集「みちのく」より選び、かの日講筵に連なりし我ら主唱してこれを建つ。

こはまた我らが青春のモニュメントにてもあらんか。



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