このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記

大安寺池〜芭蕉の句碑〜
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西都市鹿野田に大安寺池がある。


大安寺池の歴史

 この池は、およそ15,000m2ほどの広さと8,000m3の貯水能力があり、室町時代後期、伊東藩主の居城であった都於郡(とのこおり)城が繁栄していたころ城を守る堀の一部であったといわれ、また米を作るための水源として大変重要な役割を果たしていました。池のまわりには当時いくつもの寺院があり、ここから西の方は門前町として大変ににぎわいを見せていたそうです。時代とともに池のまわりも様変わりしましたが、美しい景観を今に残し遠い昔をしのばせてくれます。

 永禄12年7月11日、都於郡城主、伊東義益が岩崎稲荷社にて急死した時、世情騒然として天変地異あり。12月8日、城下大池に俄に中島が出来、遊行した。人々驚き恐れ、義祐は飯野出兵を引き上げた。

 後、この地は徳翁寺の境内となり、弁財天を祀り龍宮と云はれた。

大安寺池の弁財天に芭蕉句碑があった。


古池や蛙とひこむ水の音

出典は『蛙合』(仙化編)。

貞亨3年(1686年)春、 深川芭蕉庵 で詠まれた句。

寛政7年10月12日、本庄の佛匠阿窓庵野雀は都於郡の門人達と共に佛(ママ)聖松尾芭蕉の百年忌に当りその代表作「古池や」の句碑をこの中島に建てた。以来190年、各地芭蕉の句碑数多き中にこの句碑は県下最古のもので、江戸末期における都於郡俳諧の隆盛を偲ばせるものがある。

都於郡城址顕彰会

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