このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
義門寺
〜芭蕉の句碑〜
国富町仲町の県道26号宮崎須木線沿いに義門寺という寺がある。
義門寺山門
貞和2年(1346年)、建立。
浄土宗
の寺である。
義門寺は「歴史の舞台」。
史蹟 豊臣軍本営地址
天正15年(1587年)、豊臣軍が島津氏を攻めた際、秀長の本陣が置かれた場所だといわれている。5月3日の「秀長公禁制」が現存するそうだ。5月6日、島津義久は豊臣秀吉に降伏。
本堂左手の墓地に芭蕉の句碑があった。
句碑は風化が甚だしく、句は判読できない。
「
をりをりに伊吹を見ては冬籠り
」とされるようだ。
出典は
『後の旅』
。「
千川亭に遊て
」と前書きがある。
千川
亭は大垣藩士岡田治右ヱ門邸。宮崎荊口の次男。
元禄4年(1691年)、芭蕉は京都から江戸に向かう途中で大垣に立ち寄り、千川亭に泊まった。
「冬籠塚」芭蕉句碑
自然石の句碑で、文化7年(1810年)刊行の「さるみのつか」誌上で「芭蕉翁」「冬籠・・・」の部分などが読み取れるとして紹介されています。
芭蕉には「冬籠」の句が6句ほどありますが、金屏の松の古さよ冬籠」「折々に伊吹を見ては冬籠」などの句の雰囲気が境内に合ったであろう、と言われています。
文化・文政(19世紀の初め)から明治時代にかけて盛んであった本庄俳壇をしのばせる句碑です。県内には他に8基の芭蕉句碑が確認されています。
国富町教育委員会
昭和5年(1930年)10月18日、
山頭火
は行乞の途次本庄仲町の「さぬきや」に宿泊している。
綾から本庄までまた二里、三時間ばかり行乞、やうやく教へられた、そして大正十五年泊つたおぼえのある此宿を見つけて泊る、すぐ湯屋へゆく、酒屋へ寄る。……
『行乞記』(一)
義門寺の駐車場に山頭火の句があった。
山へ山へ摩訶般若波羅密多心経
昭和7年(1932年)1月20日、唐津で詠まれた句。
こゝの名物の一つとして松露饅頭といふのがある、名物にうまいものなしといふが、うまさうに見える(食べないから)、そしてその本家とか元祖とかいふのが方々にある。
小鰯を買つて一杯やつた、文字通り一杯だけ、昨夜の今夜だから。
・けふのおひるは水ばかり
・山へ空へ摩訶般若波羅密多心経
『行乞記』(二)
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