このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記

飫肥城〜大手門〜
indexにもどる

飫肥城下町 から飫肥城へ。

飫肥城大手門


 飫肥城の大手門は明治時代初めに取り壊されたが、昭和53年(1978年)に飫肥城復元事業の第2期工事として歴史資料館とともに復元建設された。

 復元に際しては、当時の城郭研究の第1人者であった故藤岡通夫博士に設計、監修を依頼し、国内に現存する大手門を参考に在来工法で行った。

 復元された大手門は木造渡櫓2階建てで、高さ12.3mを計る。建築材は飫肥営林署の三ッ岩学術参考保護林から樹齢百年の飫肥杉4本の提供を受けた。

 なお、復元工事中に、礎石に刻まれた正徳3年(1713年)銘の碑文が発見され、大手門の内側に保存されている。

 飫肥城は、重要伝統的建造物群保存地区内であるとともに、日南市指定文化財である。

松尾の丸


 飫肥城復元事業により、昭和54年(1979年)に、江戸時代初期の書院造りの御殿として、在来工法を使用して建設された。建物は延床面積約800平方メートルで、御座の間、御寝所、涼櫓、茶室など20室以上の部屋がある。涼櫓には、豊臣秀吉が京都の聚楽第で使用したと伝えられる湯殿と同じものを復元している。建物の設計、監修は豊後岡城や京都二条城を参考に故藤岡通夫博士が行った。

 本事業では多くの日南市民や本市出身者の寄付とともに、財団法人日本船舶振興会(現日本財団)から多額の助成を受けた。

旧本丸跡(飫肥杉林)


 飫肥城の旧本丸跡、100年を超す飫肥杉が林立。

 平成16年度後期連続テレビ小説「わかば」の中で、ヒロインの若葉が、落ち込んだ時に元気を取り戻した場所。

飫肥は連続テレビ小説「わかば」の舞台地です。

史跡 飫肥城旧本丸


 飫肥城は東西約750メートル、南北約500メートルの城域に大小13の曲輪と犬馬場などからなる広大な城である。各曲輪はシラス大地を空堀で区切った壮大な規模で、南九州の中世城郭において特徴的な形態である。

 戦国時代には代々島津氏一族が城主であったが、天正15年(1587年)に飫肥藩初代伊東祐兵が豊臣秀吉から飫肥を領地として与えられて以後、明治時代まで伊東氏の居城となった。

 城内の各曲輪は本丸、松尾、中ノ城、今城、西ノ丸、北ノ丸などの名称で呼ばれていた。このうち、元禄6年(1693年)に現在の本丸(飫肥小学校グラウンド)が完成するまでは旧本丸が藩主の御殿であった。

 旧本丸は寛文2年(1662年)、延宝8年(1680年)、貞享元年(1686年)の3度の大きな地震で地割れが発生し、移転することとなった。

「私の旅日記」 のトップページへ



このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください