このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
斎藤茂吉の歌碑
あさ明けて船より鳴れる太笛の
こだまは長し並みよろふ山
長崎市桜町の桜町公園に斎藤茂吉の歌碑があるというので、行ってみた。
桜町公園の片隅に斎藤茂吉の歌碑があった。
あさ明けて船より鳴れる太笛のこだまは長し並みよろふ山
昭和31年(1956年)10月、長崎アララギ会建立。
斎藤茂吉記念館によれば、11番目の茂吉歌碑である。
昭和51年(1976年)10月、碑面風化のため長崎歌人会再建。
斎藤茂吉歌碑説明
近代短歌を代表する歌人、斎藤茂吉(明治15年〜昭和28年)は、旧長崎医学専門学校(現長崎大学医学部)教授となり、大正6年12月長崎に着任します。その翌朝、目覚めたときの印象が歌碑の一首です。
朝が明け、大小の船が出入りする長崎の港。その船の鳴らす太々とした汽笛の音が、港を囲む山々に長くこだましている様子が歌われています。
斎藤茂吉は長崎に在任中、多くの長崎の歌人とも交流を持ち、大正10年3月に長崎を離れるまでの間、地元の歌壇に大きな影響を与えました。
この一首は斎藤茂吉の第2歌集『あらたま』の巻末に置かれています。また、歌碑の文字は斎藤茂吉の自筆を写したものです。
大正6年(1917年)12月17日午前8時5分、
斎藤茂吉
は東京を出て、18日午後5時5分長崎に到着。
あはれあはれここは肥前の長崎か唐寺の甍に降る寒き雨
しらぬひ筑紫の國にしはぶきつつ一夜ねにけり
しづかなる港のいろや朝飯
(あさいひ)
のしろく息たつを食ひつつおもふ
朝あけて船より鳴れる太笛のこだまはながし竝みよろふ山
『あらたま』
斎藤茂吉の歌碑
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