このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

斎藤茂吉の歌碑


オホキミノタメミクニノタメニササゲタル

キミノイノチハトハニカガヤク サイトウモキチ

大江町左沢に称念寺という寺がある。


法泉山称念寺


浄土宗 の寺である。

山門を入ると右手に 「芭蕉墓」 があった。


左端に芭蕉の句が刻まれている。

五月雨を集て涼し最上川

 昭和13年(1938年)10月26日、宝泉寺の住職山口隆一は山西省で戦死。

   十一月六日電報來

山西のあたりにてか戦死せる中尉をおもひ一夜ねむれず

むなさわぎせしこと一再にとどまらず九月以來通信も斷えて居りにき

   十月二十七日山西省絳縣薫封村にて陸軍中尉山口隆一戰死す

漢口陥ちてとどろきし日に山西の小さき村に戰死をしたり

   山口隆一

官報にて吾は知れども自らの中尉になりし手紙まだ來ず

『寒雲』

 昭和13年(1938年)12月27日、山口隆一の公葬に茂吉は弔歌を電報。

 昭和19年(1944年)1月9日、山口隆一の弟隆爾は山西省で戦死。

   一月九日、山口隆爾中尉山西にて陣歿す

君が兄のことをしのべば山西にはらから二人いのちをはりき

「短歌拾遺」(昭和19年)

参道の半ばに 斎藤茂吉の歌碑 があった。


オホキミノタメミクニノタメニササゲタル
キミノイノチハトハニカガヤク サイトウモキチ

昭和58年(1983年)5月15日、菊地知二郎・山口よし建立。

称念寺は隆一の母山口イヲの過ごした寺。山口よしは隆一の妹。

斎藤茂吉記念館によれば、72番目の茂吉歌碑である。

『短歌拾遺』には見当たらない。

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