このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
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2006年
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おぶせ六川天満宮
〜一茶の句碑〜
梅松寺
の隣りにおぶせ六川天満宮があった。
おぶせ六川天満宮
おぶせ六川天満宮 縁起(由来)
大永2年(1522年)、梅松寺開山頼山上人が
太宰府天満宮
より御分神を勧請され、境内の一隅に鎮守社として創建されました。
天明8年(1788年)、栄雅上人が神像を調元、併せて社殿の修築を行いました。文政3年(1820年)には
知洞上人
が万人講を組織し、同5年には境内で草木市・子供相撲などを催し、近郷近在より多くの人々が出て賑わったと伝えられています。
この頃小林一茶が梅松寺を拠点に活躍し、俳諧が盛んになり、数多くの奉額も残っています。しかし、惜しいことに風化のため判読は困難です。
明治3年(1870年)、神仏分離令により、梅松寺より欅原神社へ合祀され、天満宮が天神社と改称されました。
平成4年(1992年)、天満宮奉賛会が結成され、小布施町皇大神社の祭礼(安市)の吉日(1月15日)に合格祈願祭に併せて絵馬奉納を行い、地域の繁栄を祈り、文化的伝統行事として発展することを願っています。
おぶせ六川天満宮奉賛会
おぶせ六川天満宮の境内に
一茶の句碑
があった。
心の字に水も流れて梅の花
文政10年(1827年)7月、六川天神宮に奉納された句。
梅松寺の住職の話によると、当時六川天神宮に心字池があったそうだ。小布施には一茶の句碑が30近くあるが、句を詠んだ場所が特定されるのはここだけだという。
句碑の字は
金子兜太
の筆による。
文政十亥七月、六川天神宮奉納二句
馬士も烏帽子着にけり梅の花
心の字に水も流れて梅の花
『文政九・十年句帖写』(文政10年)
文政10年(1827年)11月19日、一茶は持病の中風が昂じ、没す。
長野電鉄小布施駅前
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