このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
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2010年
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明泉寺
〜観音堂〜
佐久市街から県道138号線香坂中込線を行く。
佐久市香坂西地の閼伽流山麓に明泉寺という寺がある。
明泉寺の石段
閼伽流山明泉寺
天台宗
の寺である。
慈覚大師
の開基といわれている。
本坊から観音堂へ山道を登る。
「南朝忠臣香坂高宗」の碑があった。
陸軍大将大迫尚道謹著
閼伽流城址は南朝の忠臣香坂高宗が後醍醐天皇の第8皇子宗良親王を奉じた所と伝えられるそうだ。
大迫尚道は日露戦争に出征し、第2軍参謀長に就任する。第2軍の司令官は奥保鞏。
昭和11年(1936年)5月18日、
種田山頭火
は荻原井泉水 の弟子関口江畔と明泉寺を訪れ、「南朝忠臣香坂高宗」の碑を見ている。
信濃——北国山国はどこでもさうであるが——梅桜桃李一時開で、自然も人間も忙がしい。
此地方には山羊が多い、おとなしい家畜だが、あの鳴声はさびしい。
一里あまり歩いて、香坂明泉寺。
自然石のよい石碑が立つてゐる、曰く
南朝忠臣香坂高宗
『旅日記』
佐久平を見下ろす。
鐘楼
観音堂
観音堂の裏の道を下ると、芭蕉の句碑があった。
觀音の甍見や李つ花の雲
出典は『末若葉』(
其角
編)。
貞亨3年(1686年)、芭蕉43歳の時の句。
権大教正
三森幹雄
書。
昨年も明泉寺で芭蕉の句碑を探したが見つからず、鹿の角を拾って帰ってきた。
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