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私の旅日記
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2010年
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聖湖
〜碑巡り〜
長野県東筑摩郡麻績村に聖湖がある。
聖湖
善光寺街道の猿ヶ馬場峠である。
天明3年(1783年)8月14日、
菅江真澄
は姨捨山の月を見ようと、雨の中猿ヶ馬場峠を越えた。
市の川渡り猿が番場に登る山路にかゝりて、雨のいたく降り出でて田のこひぢを渡るが如にぬかり、山阪のふみも止まらず、脛も横ざまに行きて、倒れ或はつまづきひざまづいて、心すく思へど足の任せねば、休らひ休らひ歩み困
(こう)
じて、老いたるも若きも細き杖を力に辛うして下りはてゝ、
更級の月に心のいそがれて猿が馬場
(うまば)
も足とくぞ過ぐ
と戯
(たぶ)
れ口すさびて、日高う中原といふ處に到り宿を定む。こゝは更級の郡更科の里なれば、嵐を分けて出づる月を見てん。
『わがこゝろ』
湖畔に
竹久夢二
の歌碑があった。
番場峠の五月の花は枝は東に根は西へ
夢二は、大正13年の春、当地(猿ヶ馬場峠)を訪れ、聖湖畔に咲く5月の花(山桜)の美しさを賞で、この句を残した。
聖湖から聖高原スキー場に向かうと、
若山牧水の歌碑
があった。
山に入り雪の中なる朴の木にから松に何とものを言ふべき
第5歌集『死か芸術か』に「
信濃より甲斐へ旅せし前後の歌、十六首。
」として収録されている歌である。
明治45年(1912年)3月、牧水は歌会で信州
麻績村
を訪れた。
昭和39年(196412年)7月20日、建立。
喜志子
書。
『牧水歌碑めぐり』(大悟法利雄著)によれば、43番目の牧水碑である。
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