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私の旅日記2004年

常楽寺〜本堂〜

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 別所温泉に行っても常楽寺に立ち寄ることがなかったが、今日は時間があるので、 臨泉楼柏屋別荘」 から 常楽寺(HP) に行く。

常楽寺

 この寺は金剛山照明院常楽寺といい、 北向観音 の本坊で、本尊は妙観察智阿弥陀如来、 天台宗 であり、開山は 慈覚大師 と伝えられている。

 いまの本堂は江戸中期の享保年間(1716−1736)に建立されたもので、別所三楽寺(常楽・安楽・長楽(焼失))の一寺として多くの信仰をあつめている。

常楽寺本堂


常楽寺本堂

 この本堂は、寄棟造(よせむねづくり)、茅葺(かやぶき)の建築で、正面中央に唐破風の向拝を付けています。 間取りは、前側に細長く広縁をとり、中央に外陣(げじん)・内陣(ないじん)があり、その両脇に部屋を配置する構成で、内陣の左脇の間が「上段の間」となっています。この間取りは、当初からのもので、ほとんど改造されていません。また、間口が10間(約18m)あり、県内の江戸中期後半の天台真言系本堂として屈指の規模をもっています。

 向拝は社殿や仏堂の正面に、本屋から張り出して庇(ひさし)を設けた部分。参詣人が礼拝する所。御拝(ごはい)

 寺の「分限帳」によれば、客殿(本堂)・本尊・庫裡(くり)の建立は四十六世翁玄の代(1710−38年在住)で、本尊の妙観察智阿弥陀如来坐像には享保17年(1732年)の墨書があり、本堂の再建も本尊入仏と同じ享保17年頃であったと考えられます。 建物の様式をみても、虹梁(こうりょう)の絵様(えよう)・組物(くみもの)・欄間(らんま)などのように17世紀後期の比較的古い様式を示す部分と、柱が一間ごとに立ないという18世紀中期以降の特色が混在しており、享保末期−元文期(1730年代)の建築と考えられます。

 大工に関する資料はありませんが、享保6年に再建された北向観音堂、享保13年の安楽寺山門、寛延3年(1750年)の塩野神社本殿など、上田房山の末野(すえの)氏がこの時期に塩田平で活躍しており、絵様などがそれらの建築と類似しているので、常楽寺本堂も末野氏の造営によるものと考えられます。ただし、軒唐破風の向拝部分は、様式が本堂と若干異なっており、四十八世良然の代(1770−85年)に付け加えられたとみられます。

 破風(はふ)屋根の切妻にある合掌形の装飾板。また、それに囲まれた三角形の所。屋根の形式、破風の位置や形によって切妻破風・反り破風・唐破風・千鳥破風などの種類がある。破風板。

 唐破風(からはふ)中央部は弓形で、左右両端が反りかえった曲線状の破風。門・玄関・神社の向拝の屋根や軒先などに用いる。

 本堂の意匠は彫刻的な要素が少なめですが、これは江戸中期に属する本堂の特色で、常楽寺本堂は全体として江戸中期後半の特色をよく示した貴重な建築といえます。

上田市教育委員会

御船の松


樹齢300年だそうだ。

 大正12年(1923年)4月中旬、 北原白秋 は別所温泉を訪れ柏屋本店に数日滞在、常楽寺を訪れている。

   常楽寺 春昼散策の四

薄束たかだかと積む御堂横日はあたりつついささか寒し

木蘭(もくれん)は寺の日向にあかるくて木ぶりかそけき紫のはな

『海阪』(道のべの春)

苔むした石灯籠


海野宿 へ。

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