このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

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昔の旅日記

千曲川万葉公園〜碑巡り〜
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戸倉上山田温泉 の万葉橋のたもとに千曲川万葉公園がある。


千曲川万葉公園は昭和60年(1985年)4月に建設された。

「万葉公園」と言うくらいだから、 万葉集 の歌碑がある。


信濃道は今の墾り道刈りばねに足ふましむな沓はけわが背

『万葉集』(巻14) 東歌

『万葉集』の防人歌が万葉仮名で書かれていた。



可良己呂武 須宗尓等里都伎 奈苦古良乎 意伎弖曾伎怒也 意母奈之尓志弖

万葉仮名で書かれていては読めないが、脇に読み方が書いてある。

からころも裾(すそ)に取りつき泣く子らを置きてぞ来(き)ぬや母(おも)無しにして

『万葉集』(巻20) 防人歌

作者は国造小縣郡(ちひさがたのこほり)他田舎人(をさだのとねり)大島。

『万葉集』の志貴皇子の歌も万葉仮名で書かれていた。


石激垂見之上乃左和良妣乃毛要出春尓成來鴨

石走る垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも

『万葉集』(巻8) 志貴皇子

志貴皇子(?−716)は天智天皇の第7皇子で、光仁天皇の父。

 千曲川万葉公園は千曲川に沿って広がり、古く万葉の時代から現代に至るまで27の歌碑が建っている。

その中に 若山牧水夫婦の歌碑 がある。



秋風の空晴れぬれば千曲川白き河原に出てあそぶかな

若山牧水



ふるさとの信濃なるかもいまぞわが千曲の川の長橋わたる

若山喜志子

小林一茶の句碑 もある。


姨捨などとは老足むづかしく

有合(ありあい)の山ですますやけふの月

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