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私の旅日記
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2010年
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元善光寺
〜碑巡り〜
善光寺
に参詣するだけでは片参りになるというので、飯田市座光寺の
元善光寺
(HP)に行ってみた。
定額山元善光寺
天台宗
の寺である。
本尊は善光寺如来。
元善光寺の由来
元善光寺は、今から約1400年前第三十三代推古天皇10年に、本多善光卿によって開かれたという。
善光卿は麻績の里の出で、国司に随って都に上がり、ある時
難波の堀江
で一光三尊の如来にめぐりあい、これを背に負って故里に帰り臼を浄めて安置し奉った。これがこの寺の創りである。
臼はかくしゃくとして輝き、御座光の臼とよばれて今もこの寺の霊宝となっている。里を座光寺と称するのもこの縁によるものであろう。
41年を過ぎ、第三十五代皇極天皇2年、勅命によって本尊は芋井の里に遷された。今の長野善光寺がそこに始まる。この時同じ一光三尊仏を造ってこの地に留められ、寺は元善光寺とよばれるようになった。
善光寺の名は本多善光卿の名に基き、元善光寺の元は本元の意で、古来善光寺に参詣するだけでは片参りになると言い伝えられた。
この寺の由緒の深さをもの語るものといえよう。
飯田観光協会
文化7年(1810年)8月1日から元善光寺阿弥陀如来が
護国寺
で開帳。10月8日、一茶は松井と元善光寺開帳に参詣。
八 晴 松井ト元善光寺開帳参
『七番日記』(文化7年10月)
本堂手前の植え込みに
芭蕉の句碑
があった。
う羅やまし浮世の北の山櫻
『北の山』
(句空編)巻頭に収録。
元禄5年(1692年)1月16日、金沢の門人
句空
に贈った句である。
「浮世の北」は金沢、「山桜」は句空。
文化10年(1813年)8月25日、建立。
春蟻
書。
桜井蕉雨
は信州飯田の人。
芭蕉の句碑の隣に蕉雨の句碑があった。
淋しさは人にこそよれ鳴く蛙
弘化2年(1845年)、北原志雄、今村蛙村建立。
座光寺村の庄屋北原鳳佐・志雄父子は桜井蕉雨について俳諧を学んだ。
日夏耿之介の句が刻まれている。
花散る夕心経を誦して俟ち給へ
日夏耿之介の句碑があった。
魚一寸草三寸のかすみかな
日夏耿之介は飯田市知久町に生まれる。
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