このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記2004年

海野宿〜白鳥神社〜

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新鹿沢温泉 から県道94号東部嬬恋線を下り、左折して国道144号に入る。


鳥居峠を越えると、長野県。

左折して、県道4号真田東部線に入る。


カーナビの指示に従って右折し、海野宿へ。


海野宿


駐車場に車を停める。

使用料は300円( 東部町海野宿駐車場条例 :平成15年4月1日施行)。

白鳥神社があった。


白鳥神社

 この神社は古代天皇の命を奉じて東征の途についた 日本武尊(やまとたけるのみこと)がこの地に滞在されたことから白鳥神社と稱し、古代から中世の豪族、海野氏の祖と云われる貞元親王・善淵王・海野広道公を祭神としています。

白鳥神社の南を流れる千曲川の白鳥河原は 木曽義仲 挙兵の地だそうだ。

木曽義仲挙兵の地(海野郷白鳥河原)

 治承5年(1181年)義仲27歳の6月、後白河法皇の第二皇子高倉宮以仁王(もちひとおう)の令旨(りょうじ)に応じ、平家追討のため大豪族海野氏の根拠地であるここ海野郷「白鳥河原」に挙兵した。

 馳せ参ずる者、地元滋野一族をはじめ、義仲の四天王樋口次郎兼光・今井四郎兼平・根井小弥太・楯六郎親忠の武将を中心に、信濃、西上州の将兵等約3千余騎が集結した。

 白鳥河原で挙兵した義仲は、まず平家の先鋒越後国の城氏の大軍約6万余騎を横田河原にて撃破し、つづいて寿永2年(1183年)5月、越中と加賀の国境 砺波山の戦 で平家の大群を破り、北陸道・近江を制圧し、同年7月京都入りをはたした。

 翌年の寿永3年(1184年)1月、征夷大将軍に任ぜられたが、その十数日後、 宇治瀬田の戦 で敗れ、近江粟津で戦死した。

東部町教育委員会

白鳥神社の隣に「日本の道100選」 の碑があった。


海野宿の町並み


旅篭屋造りの「海野宿資料館」。

2階は「出桁造り」で、海野格子がある。奥には本卯建が見える。

「海野宿資料館」の脇に一茶の句碑がある。


夕過の臼の谺の寒哉   一茶

文化9年11月海野宿泊

小林一茶は15歳で江戸に出る。

 文化9年(1812年)11月14日、一茶50歳の時、江戸を引き上げる。22日、海野宿に泊まる。

廿二晴 海野泊

   夕過の臼の谺の寒哉

『七番日記』(文化9年11月)

24日、柏原に帰る。

町並みの柳


海野に 加舎白雄 の門人齋藤雨石・井々がいた。

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