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私の旅日記
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2012年
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興福寺
〜五重塔〜
せっかく奈良に来たのだから、
興福寺
(HP)に立ち寄った。
興福寺は南都六宗の一つである
法相宗
の大本山。
西国三十三カ所
第9番札所である。
東金堂
国宝である。
五重塔
国宝である。
国宝の五重塔は全国で9基。奈良では興福寺の他、
法隆寺
と室生寺にある。
元禄7年(1694年)9月8日、芭蕉は猿沢池畔の宿に泊まった。
ぴいと啼く尻声悲し夜の鹿
奈良公園の
「鹿苑」
に句碑がある。
享保2年(1717年)、西金堂、講堂、南大門などが焼け、以後再建されなかった。
明和2年(1765年)、蓑笠庵梨一は興福寺を訪れ南円堂で句を詠んでいる。
興福寺はいにし年の回禄に七堂伽藍すへて烏有となり、今はたた礎のあなたこなたに残るのみそ、いよいよ哀とは見なし侍る。南円堂はいにしへ藤花の名残ある所なれは、
石に見るむかしの跡や藤すみれ
『大和紀行』
猿沢の池
昭和5年(1930年)4月8日、
北原白秋
は妻子と奈良を回っている。
池をへだてて
猿沢の柳の眺めさびにけり余光暫
(しば)
ある興福寺の塔
『夢殿』(昭和14年11月28日、八雲書林刊)
昭和14年(1939年)5月11日、
種田山頭火
は大阪から奈良へ。
奈良公園
塔は五重いういうとして鹿
『旅日記』昭和十四年
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