このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記2012年

興福寺〜五重塔〜
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せっかく奈良に来たのだから、 興福寺 (HP)に立ち寄った。


興福寺は南都六宗の一つである 法相宗 の大本山。

西国三十三カ所 第9番札所である。

東金堂


国宝である。

五重塔


国宝である。

国宝の五重塔は全国で9基。奈良では興福寺の他、 法隆寺 と室生寺にある。

元禄7年(1694年)9月8日、芭蕉は猿沢池畔の宿に泊まった。

ぴいと啼く尻声悲し夜の鹿

奈良公園の 「鹿苑」 に句碑がある。

 享保2年(1717年)、西金堂、講堂、南大門などが焼け、以後再建されなかった。

 明和2年(1765年)、蓑笠庵梨一は興福寺を訪れ南円堂で句を詠んでいる。

 興福寺はいにし年の回禄に七堂伽藍すへて烏有となり、今はたた礎のあなたこなたに残るのみそ、いよいよ哀とは見なし侍る。南円堂はいにしへ藤花の名残ある所なれは、

   石に見るむかしの跡や藤すみれ


猿沢の池


昭和5年(1930年)4月8日、 北原白秋 は妻子と奈良を回っている。

   池をへだてて

猿沢の柳の眺めさびにけり余光暫(しば)ある興福寺の塔

『夢殿』(昭和14年11月28日、八雲書林刊)

昭和14年(1939年)5月11日、 種田山頭火 は大阪から奈良へ。

  奈良公園

 塔は五重いういうとして鹿


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